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有名神社 湯島天神


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神田明神 裏参道を出て右折、蔵前橋通りへ 神田明神 裏参道を出て右折、蔵前橋通りへ 
蔵前橋通り 妻恋坂交差点で左折、不忍通りへ 蔵前橋通り 妻恋坂交差点で左折、不忍通りへ 

新御茶ノ水駅から千代田線は右に曲がり、湯島聖堂、神田明神の地下を走り、この交差点から不忍通り沿いを北上する。
不忍通り 三組坂下交差点 不忍通り 三組坂下交差点 

左折し、三組坂上交差点で右折すると湯島天神の表鳥居(銅鳥居)に出る。

元和2年(1616)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者は江戸へと召し返され、当地に屋敷地を賜った。駿河から帰ったので、里俗にこのあたり一帯を駿河町と呼んだ。
 その後、元禄9年(1696)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改めた。
 この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられた。
 元禄以来、呼びなれた三組町は、昭和40年(1965)4月以降、今の湯島三丁目となった。
不忍通り 湯島駅 案内標識 不忍通り 湯島駅 案内標識 

出入口はビルの陰に隠れており、標識を見落とすと分かりにくい。
東京メトロ 千代田線 湯島駅 東京メトロ 千代田線 湯島駅 
不忍通り 旧町名案内 湯島天神町 不忍通り 旧町名案内 湯島天神町 

むかしは、湯島天神の境内であった。 慶長19年(1614)町屋を開き、寺社奉行の支配を受けたが、寛文4年(!664)から町奉行支配となった。
 湯島天神の前なので、湯島天神前町と称えた。 明治2年、天神下宝性院門前と天神社地門前を併せて湯島天神町とした。 同5年、天神下同朋町、湯島三組町の一部、旧板倉藩屋敷、その他の武家地を併せて、湯島天神1〜3丁目とした。 江戸時代から湯島天神(明治以後湯島神社)の門前町としてにぎわった。
不忍通り 湯島中坂下交差点 不忍通り 湯島中坂下交差点 
不忍通り ラーメン店角で左折、湯島天神 男坂へ 不忍通り ラーメン店角で左折、湯島天神 男坂へ 
湯島天神 天神石坂(天神男坂) 湯島天神 天神石坂(天神男坂) 

湯島天神は別ページにまとめた。

天神石坂(天神男坂)

三十八段の石段坂である。別名は天神男坂。すぐわきにある、ゆるやかな坂・女坂に対して男坂という。
江戸時代の書物″御府内備考”によると、湯島神社(天神)参拝のための坂であったが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通り道になったという。
湯島天神 夫婦坂を下り右折、春日通りへ 湯島天神 夫婦坂を下り右折、春日通りへ 
春日通り 天神下交差点で左折、不忍通りへ 春日通り 天神下交差点で左折、不忍通りへ 
不忍通り 池之端一丁目交差点で左折 不忍通り 池之端一丁目交差点で左折 

不忍池に突き当って左に曲がる。
睡蓮の花が咲く不忍池 睡蓮の花が咲く不忍池 

遠くに弁天堂が見える。
睡蓮の花が咲く不忍池 睡蓮の花が咲く不忍池 
不忍通り 不忍池沿いに北上 不忍通り 不忍池沿いに北上 
不忍通り 池之端二丁目交差点 不忍通り 池之端二丁目交差点 
不忍通り 根津一丁目交差点で言問通りを渡る 不忍通り 根津一丁目交差点で言問通りを渡る 

左折すると弥生式土器が発掘された弥生貝塚があり、右に行くと谷中墓地、上野寛永寺根本中堂に向かう。
東京メトロ 千代田線 根津駅 東京メトロ 千代田線 根津駅 

根津一丁目交差点角にある。



 
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