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吉野通り 地下連絡道出口 南千住二・三丁目交差点で右折
左に常磐線や日比谷線の線路下を進む自動車道の出口が見える。 |
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常磐線沿いに住宅街を西進 |
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投げ込み寺 浄閑寺 山門 |
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投げ込み寺 浄閑寺 山門
浄閑寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。安政二年(一八五五)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。 檀徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、寛保三年(一七四三)から大正十五年(一九二六)にいたる、十冊の過去帳が現存する。 遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れている。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものである。 |
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投げ込み寺 浄閑寺 本堂 |
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投げ込み寺 浄閑寺 浄閑寺史蹟
多くの史蹟が列記されているが、どこにあるのかの案内がないため、 新吉原総霊塔などすぐ分かるものを撮った。 |
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投げ込み寺 浄閑寺 本堂裏の墓所
常磐線の線路沿いにあり、左の高い石柱が新吉原総霊塔である。
撮影日はいい天気だったが、曇り空だと薄暗くジメジメした感じで、いかにも遊女の恨み辛みが立ち込めそうな場所である。 |
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投げ込み寺 浄閑寺 永井荷風文学碑
永井荷風の作品が記されており、碑の後ろに諸和38年に永井荷風所縁の品を納めた荷風碑建立の由来が書かれている。
「震災」 「偏奇館吟草より」 と記されている。 |
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投げ込み寺 浄閑寺 新吉原総霊塔
投げ込み寺(浄閑寺)と言えば必ず出てくる史蹟で、本堂裏に入るとすぐ分かる。 |
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投げ込み寺 浄閑寺 新吉原総霊塔
有名な川柳である。
花又花酔の川柳
「生まれては苦界、死しては浄閑寺」 |
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投げ込み寺 浄閑寺 ひまわり地蔵尊 |
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投げ込み寺 浄閑寺 ひまわり地蔵尊
山谷には、労働に生き労働に老いて、ひとリ淋しく人生を終る人が数多くいます。
山谷老友会は、孤独の壁をこえて連帯し、はげましあい、またささえあってきましたが、死後の安心なしには、真の生活の安らぎがないところから、ひまわり地蔵尊の建立を思いたちました。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてきた日雇労働者のシンボルといえます。 |
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浄閑寺のすぐ先の突き当りで左折、日光街道へ |
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日光街道 大関横丁交差点で明治通りを渡る
交差点を渡ると日光街道(国道4号)は昭和通りと改称される。 |
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東京メトロ 日比谷線 三ノ輪駅 |