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青梅街道 五日市街道入口交差点を渡る
五日市街道は、交差点の右手から始まる。 |
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青梅街道 高円寺陸橋下交差点で環七を渡る |
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青梅街道 高円寺陸橋下交差点で環七を渡る |
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青梅街道 蚕糸の森公園
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青梅街道 蚕糸の森公園 |
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青梅街道 蚕糸の森公園 |
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青梅街道 蚕糸の森公園 |
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東京メトロ 丸ノ内線 東高円寺駅
蚕糸の森公園の外れにある。 |
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青梅街道 東高円寺駅前交差点 |
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青梅街道 杉山公園交差点で中野通りを渡る
左折し、中野通りを北上するとJR中野駅西側を通り、哲学堂に向う。 |
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東京メトロ 丸ノ内線 新中野駅 |
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青梅街道 鍋屋横丁交差点を渡る |
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青梅街道 中野新橋入口交差点
東京メトロ丸ノ内線方南町支線は、この交差点手前から南に分岐し、中野新橋駅を経て方南町に向かう。 |
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青梅街道 中野警察署 |
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青梅街道 宝仙寺前交差点で左折
中野坂上交差点手前にある。 |
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青梅街道 中野坂上 宝仙寺 山門(仁王門)
阿・吽一対の仁王像が納められた山門。 |
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青梅街道 中野坂上 宝仙寺 三重塔、石臼塚 |
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青梅街道 中野坂上 宝仙寺 石臼塚
石臼塚由来
中野区と新宿区との間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を挽くことに使われていた。
そばの大消費地となった江戸・東京に向けて玄そばが全国から中野に集められ製粉の一大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで言われるようになった。
その後、機械化により使われなくなった石臼は道端に放置され見向がれなくなっていった。それを見て当山、宝仙寺第五十世住職富田教純大僧正(宝仙学園創立者)が、人の食のために貢献した石臼を大切に供養すベきてあるとして、境内に「石臼塚」を立て供養した。 |
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青梅街道 中野坂上 宝仙寺 三重塔
当寺の三重塔は寛永十三年に建立された塔が飛地境内の塔ノ山公園(現在の中野区立第十中学校)にありましたが昭和二十年の戦災で焼失致しました。
平成四年の興教大師八百五十年御遠忌記念として再建されました。
この塔は、焼失した塔とほぼ同じ高さの約二十メートルで奈良法起寺に範をとり飛鳥様式の純木造建築で心柱は基壇まで貫通しています。塔内には大日如来を中心とした胎蔵界五佛が安置されております。 |
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青梅街道 中野坂上 宝仙寺
宝仙寺は漫画家赤塚不二夫の葬儀が行われたところで、三重塔がある大寺である。
武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起によると、宝仙寺は、平安後期の寛治年間、源義家によって創建されました。このとき義家は、奥州・後三年の役を平定して凱旋帰京の途中にあり、陣中に護持していた不動明王像を安置するための一寺を建立したのでした。
その地は、父頼義がかって祭祀した八幡社のある阿佐ヶ谷の地で、この造寺竣成の時、地主稲荷の神が出現して義家に一顆の珠を与え
「この珠は希世之珍である
是を以って鎮となさば
則ち武運長久法燈永く明かならん」
と言いおわるや、白狐となって去りました。これにより山号を明王山、寺号を宝仙寺と号したと伝えられます。 |
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青梅街道 中野坂上 宝仙寺 |
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東京メトロ 丸ノ内線/都営 大江戸線 中野坂上駅
都営大江戸線は山手通りを北上する。 |