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外堀通り 神田郵便局前交差点 JR中央線ガード下を歩く
ガードの先の橋は昌平橋である。 |
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外堀通り 神田川に架かる昌平橋
昌平橋の先の鉄橋はJR総武線である。 |
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外堀通り 昌平橋交差点で左折
外堀通りは左折してJR総武線沿いを行き、右から国道17号線(本郷通り)が右折し、昌平橋を渡って直進する道をたどる。 |
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外堀通り 湯島聖堂
湯島聖堂の前身は昌平坂学問所(昌平黌)で、明治維新後に大学を設置するため孔子以下の諸像を撤去したが、後に元に戻した。御茶ノ水の聖橋門からも入れるが、秋葉原の昌平橋近くの正門から入った方が分りやすい。仰高門から入ると、右手に斯文会館があり、突き当たり右に大きな孔子銅像がある。うっそうとした木立の中をさらに進むと、入徳門、杏壇門を経て、大成殿(孔子廟)に到る。大成殿は中国式の石床で、中に孔子の小さな像が祀られている。大成殿脇の西門から出ると神田明神はすぐ傍である。 |
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外堀通り 湯島聖堂
寛永九年(一六三二)、尾張藩主徳川義直 林道春(羅山)をして、上野忍ヶ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。その回禄(火災)の災に罹るや、元禄三年(一六九〇)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と称せり。後、寛政十一年(一七九九)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大學を此地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、旧に復せり。
建造物は暫く東京博物館の一部に充てたりしが、大正十二年(一九二三)九月一日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せしを昭和十年(一九三五)四月四日鐡筋混凝立構造に依りて原型に復せり。 |
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外堀通り 相生坂(昌平坂)
神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。 『東京案内』に、「元禄以来聖堂のありたる地なり、南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい、相生坂より聖堂の東に沿いて、湯島坂に出るものを昌平坂という。昔はこれに並びてその西になお一条の坂あり、これを昌平坂といいしが、寛成中聖堂再建のとき境内に入り、遂に此の坂を昌平坂と呼ぶに至れりり」とある。そして後年、相生坂も昌平坂とよばれるようになった。
昌平とは聖堂に祀られる孔子の生地の昌平郷にちなんで名づけられた。 |
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外堀通り 神田川に架かる聖橋
聖橋の右手は湯島「聖」堂で、左手にニコライ「聖」堂があることから「聖」橋となった。
聖橋から神田川下流を見ると神田川に架かる鉄橋を走る丸ノ内線が見える。 |
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東京メトロ 丸ノ内線 御茶ノ水駅 |
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外堀通り お茶の水交差点 |
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外堀通り 東京医科歯科大学
聖橋の西にある御茶の水橋を渡った所にある。 |
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外堀通り 順天堂前交差点で右折 |
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サッカーミュージアム入口交差点で左折、本郷通りへ
道路標識は普通の交差点だが、実際は5差路で、標識の日本橋の文字の所に蔵前橋通りがある。 |
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サッカーミュージアム入口交差点で左折、本郷通りへ
交差点を突き抜けるとサッカー通り(傘谷坂)で、坂の途中に日本サッカーミュージアムがある。 |
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本郷通り 壱岐坂上交差点 |
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本郷通り 本郷三丁目交差点手前で左折
本郷三丁目駅は交差点の脇の商店街の中にあり、手前の上島珈琲店角で左折する。
丸ノ内線が本郷通りから春日通りに出るため、左に曲がる曲線上に駅があリ、このような変則的な場所になっている。駅入口の標識はないので注意が必要である。 |
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東京メトロ 丸ノ内線 本郷三丁目駅 |
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本郷通り 本郷三丁目交差点で左折、春日通りへ
「御府内備考」に次の記事がある。
本郷は古く湯島の一部(注 湯島郷の本郷)であるので、湯島本郷と称すべきを上を略して、本郷とだけ唱えたので、後世湯島と本郷とは別の地名となった。湯島のうちで中心の地という意味から本郷の地名が生まれた。 |
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春日通り 真砂坂上交差点で、右方向の東富坂へ
正面に独特の形をした屋上を持つ文京区役所が見える。丸ノ内線は直進して後楽園に向う。
真砂坂上交差点を右折すると、樋口一葉の旧居に向かう。2000円札が発行された当時は文京区も大々的に観光案内をしていたが、狭隘な民家が立ち並ぶ小路のため、住民がから強い抗議があり、案内板などは撤去され、区役所に問い合わせても注意がなされる。 |
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春日通り 春日町交差点で白山通りを渡る |
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春日通り 春日町交差点で白山通りを渡る
左の湯沸しポットのような文京区役所がある建物はシビックホールである。 |
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春日通り 春日町交差点 神田上水石樋の石 |
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春日通り 春日町交差点 神田上水石樋の石
ここに使われている石は、江戸時代に神田上水で使われていた石樋の一部で、昭和六十二年外堀通りのエ事中に現在の水道橋付近から発掘されたものです。
神田上水とは近世都市の江戸で最初に整備された上水道であり、徳川家康が江戸入りと同時に造らせたと言われています。水源となる井の頭池の湧水を、大洗堰(現在の文京区関口)を経てから水戸屋敷(現在の小石川後楽園一帯)に入れ、そこから先は暗渠(地下の樋)で通しています。この暗渠で使われていたのが、石樋(石で作った樋)です。なお、お茶の水坂からは、掛樋(木で作った樋)で神田川の上を横断させて、神田・日本橋方面に飲料水として給水されていました。 |
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春日通り 富坂下交差点で左折
富坂を上った所に中央大学の理工学部の校舎が聳え立ち、坂の途中に春日局像がある。 |
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東京メトロ 丸ノ内線 後楽園駅 |
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東京メトロ 丸ノ内線 後楽園駅 |