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万歩計



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掲示板(一言どうぞ)


溜池山王駅〜工事中の参議院議員会館〜永田町駅

【関連サイト】   南北線H2008
日枝神社 神幸祭H240608(巡行開始風景(鳳輦・宮神輿〜巫女〜花山車・干支山車))


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山王パークタワー交差点で外堀通りを渡る 山王パークタワー交差点で外堀通りを渡る 

左側に山王パークタワーが建っており、右の総理大臣官邸としては裏側の風景である。
総理大臣官邸横の坂下交差点 総理大臣官邸横の坂下交差点 

交差点名はなく、左に南北線の溜池山王駅があり、坂を上ると総理官邸前交差点に着く。この坂の下を丸ノ内線と千代田線が走る。
衆議院第一議員会館裏を北上 衆議院第一議員会館裏を北上 

道路の左側にはザ・キャピトルホテル東急がある。
地域案内 永田町二丁目 地域案内 永田町二丁目 

 立法の府・国会議事堂を背に山王坂を下ったこのあたりが永田町二丁目になります。左手方面には平成十四年(2002)完成の首相官邸が立ち、隣接する旧官邸は公邸として激動の七十三年の歴史を語りつぐ役割をになっています。正面の星が岡の高台には緑ゆたかな日枝神社の杜があります。戦火をまぬがれた大銀杏と鳥居をくぐり、表参道である山王男坂を上がると荘厳な社殿がむかえてくれます。切り通しを経て立つ日比谷高校は、東京府立第一中学校時代の昭和四年(1929)に日比谷から移転し、発祥地の名を継承しています。
 かつて住宅地と商店街、高級料亭が点在した永田町は、太平洋戦争末期の昭和二十年(1945)、木造建築物の強制撤去と五月の空襲で、わずかに官邸、永田小学校、一中の講堂、山の茶屋を残して、ことごとく焼失。あたりの様相は一変して、終戦をむかえました。
 昭和三十三年(1958)、日枝神社の社殿が完成し、町に復興のきざしがみえてきました。二・二六事件(昭和十一年、1936)の舞台にもなった山王ホテルは戦後、駐留軍施設から四十四階建ての山王パーククタワーとなりました。料亭「幸楽」は、ホテルニュージャパンとして復活し、さらにホテルが火災によって消失したあとは、三十八階建てのプルデンシャルタワーになるなど、超高層ビルが立ち並ぶようになったのです。
 また、陶芸家の北大路魯山人で有名な星岡茶寮は、昭和三十八年(1963)東京ヒルトンホテル(現・キャピトル東急ホテル)に、歌舞伎俳優・初代市川猿之助や戦後の名優・長谷川一夫の住居跡も高級マンションに変わりました。歴史と文化をはぐくんだこの町も、いまでは地下鉄六線が乗り入れ、政府機関やオフィスが立ち並ぶ繁華な商業地へと変貌しつつあります。
地域案内 永田町二丁目と日枝神社 地域案内 永田町二丁目と日枝神社 

 この界隈は、かつて頭上をツバメが飛び交い、水辺では蟹をとることもできたそうで、風がすがすがしくわたる自然あふれる土地でした。江戸時代初期には近くに馬場がありました。その道筋に永田姓の旗本の屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれ、これが町名の由来になっています。
 万治2年(1659),山王権現(今の日枝神社)が半蔵御門外からここに移され鎮守の森となりました。この森には溜池があり、玉川上水を引く前には江戸の水道の水源にもなっていました。権現様の森に守られ、夏は溜池の水で水遊び。旗本屋敷の庭園の緑が照り映え、茶屋が点在するーーここは、江戸のオアシスだったのです。
 しかし、静寂なだけではありません。神田明神と交替で隔年六月に行われる山王権現の本祭は、江戸時代より将軍の上覧に供する天下祭、御用祭で、じつに豪勢なものでした。行列には山車や曳物、練物、お囃子、踊りが出て、人々の装束も華麗でした。特に大きな象の作り物をともなった朝鮮通信使来朝の練り物は、江戸時代に有名でした。見物も店の前に桟敷を作り、欄干をつけ、緋毛氈を敷き、金屏風や名流百家の手になる衝立を立てたというのですから、さながら美術展です。
 仏教と神道が合体した山王権現を、江戸の人たちは「山王様」と呼んで親しんでいました。その後明治政府は仏教を分離し、国家神道に組み込んで「日枝神社」としました。私はこの前を通るたびに、自然を守り、争いのない時代の権現様のいた場所として、これからは戦争のためではなく平和のためにこの地がありますようにと、心の中で山王様に手を合わせています。
山王坂下交差点 参議院第二議員会館 山王坂下交差点 参議院第二議員会館 
山王坂下交差点 日枝神社 山王坂下交差点 日枝神社 

隔年で行われる日枝神社の神幸祭では、様々な山車や鳳輦が日枝神社を出発し、この交差点を経て山王坂を上って行く。
左に日比谷高校、正面に自民党本部、右に工事中の参議院議員会館を見つつ、坂を上る 左に日比谷高校、正面に自民党本部、右に工事中の参議院議員会館を見つつ、坂を上る 

南北線の線路に沿って歩く、と言うのでなければ道に迷ったのではないかと思わせる分かりにくい道である。
左に日比谷高校、正面に自民党本部、右に工事中の参議院議員会館を見つつ、坂を上る 左に日比谷高校、正面に自民党本部、右に工事中の参議院議員会館を見つつ、坂を上る 
左に日比谷高校、正面に自民党本部、右に工事中の参議院議員会館を見つつ、坂を上る 左に日比谷高校、正面に自民党本部、右に工事中の参議院議員会館を見つつ、坂を上る 
左に日比谷高校、正面に自民党本部、右に工事中の参議院議員会館を見つつ、坂を上る 左に日比谷高校、正面に自民党本部、右に工事中の参議院議員会館を見つつ、坂を上る 
三べ坂を上る 三べ坂を上る 

山王坂下交差点からの坂を上り切った所で、再び坂が始まる。
三べ坂を上る 三べ坂を上る 

この坂を三べ坂といいます。「新撰東京名所図会」には「華族女学校前より南の方に下る坂を、世俗三べ坂といふ。昔時、岡部筑前守・安部摂津守・渡辺丹後守の三部ありし故に名づくといふ」とあります・また、坂上の西側一帯は松平出羽守の屋敷で、松平家が赤坂門の水番役をかねていたところから、門前の坂は、水坂ともよばれていました。
三べ坂を上る 三べ坂を上る 

かすれてほとんど読めないが、4年前に歩いた時の写真を参考に説明文を記した。
三べ坂を上る 三べ坂を上る 

左は参議院議長公邸、右は好麹町中学校である。
平河町交差点手前 参議院議長公邸 平河町交差点手前 参議院議長公邸 
参議院議長公邸 門前 華族女学校遺蹟碑 参議院議長公邸 門前 華族女学校遺蹟碑 

公邸の入口の左手にある石碑である。65年前の昭和18年に建てられた碑で字がよく見えないが、明治天皇の皇后である昭憲皇后が明治18年に四谷仲町に創立、その後この地をはじめいくつかの地を移転し、今の女子学習院となったことが書かれている。
平河町交差点で左折、青山通り(国道246号)ヘ 平河町交差点で左折、青山通り(国道246号)ヘ 

交差点を左折して赤坂見附に向かう。
東京メトロ 南北線 永田町駅 東京メトロ 南北線 永田町駅 



 
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