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東京メトロ 東西線 始発 西船橋駅
東西線は西船橋駅を始発とし、浦安、東陽町、大手町、飯田橋、高田馬場を経て中野駅を終点とする。
駅数 23、営業距離 30.8km
【撮影記録】
平成24年 10月 29日 晴れ
10:35〜13:10 16,000歩(概算 12.0km 地図上 11.7km) 西船橋〜浦安
営業距離 7.0km 駅数 5
4年前の前回は梅雨時の7月に歩いたため、蒸し暑さに途中で歩くのを止めたりした。今回は涼しく、スイスイと浦安まで歩けた。 |
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東京メトロ 東西線/JR 総武線・武蔵野線 西船橋駅 南口
高架はJR武蔵野線である。総武線と東西線は東西に進み、武蔵野線は南北に交差する。 |
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東京メトロ 東西線/JR 総武線・武蔵野線 西船橋駅 南口 |
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東西線/総武線の線路に沿って西進 |
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左折し、松戸原木線(県道180号)ヘ
線路沿いに歩き、初のガードで左折する。交差点の標識も、県道 松戸原木線の標識もなく、2車線の道ではあるが、線路沿いを歩いてくるとこの道しかない、と思わせる。
原木は「ばらき」と読む。 |
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松戸原木線(県道180号) 船橋市中央消防署 本郷分署 |
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松戸原木線(県道180号) 原木インター交差点
高速京葉道路の原木インターである。
松戸原木線(県道180号)はここまでで、左から船橋行徳線(県道179号)が来て、高速京葉道路を跨いで原木中山駅に向かう。 |
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松戸原木線(県道180号) 原木インター交差点で右折、側道の小路へ |
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高速京葉道路下のトンネルを進む |
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船橋行徳線(県道179号) 高速京葉道路を跨ぐ |
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船橋行徳線(県道179号) 高速京葉道路 原木インター |
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船橋行徳線(県道179号) 高速京葉道路を越えた交差点
高速京葉道路をまたぐ歩道を進むと、船橋から東京行きの原木インターからの接続道路が出る交差点である。 |
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船橋行徳線(県道179号) 真間川に架かる三戸前橋 |
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船橋行徳線(県道179号) 真間川に架かる三戸前橋 |
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船橋行徳線(県道179号) 妙行寺 総門
付近の雰囲気にそぐわない大寺である。
原木山妙行寺は、円増院日進上人が日蓮宗布教のため、天文七年(一五三八)七月この地に開創した寺院です。
当時、原木村は戸数四十余戸という小村だったので、日進上人はたちまち村民すべてを信徒にし、さらに周辺諸村に教化を広め、妙行寺の基礎を確立していきました。
本寺の宝物の一つに、日法上人作『日蓮大菩薩板御影』があります。これは宝暦十二年(一七六二)十二月、中山法華経寺の塔頭安世院が火災のとき、原木村の平田武右衛門によって火中から取り出され、妙行寺に奉納されたものと伝えています。以来だれ言うとなく『火中出現防火日蓮大師の像』として知られるようになりました。
寛政三年(一七九一)八月、江戸の荒川から行徳、船橋にかけて襲来した大津波は、特に原木村に大きな被害をもたらしました。妙行寺の堂宇は流失し、二十五世日光上人は津波のため溺死する有様でした。 村民の被害について伊能忠敬の測量日記には『此村先年津波にて、家流崩数合数五十八軒、溺死村方百十三人、外より入込人四十人』とあり、被害の大きさを物語っています。(続く) |
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船橋行徳線(県道179号) 妙行寺
(承前)
日光上人のあとを嗣いだ日運上人は、直ちに諸堂の再建に着手し、また寛政七年(一七九五)十月には、柴又の経栄山題経寺(柴又の帝釈さまで有名)住職日改上人の発願で、溺死した村民のため供養塔が建てられました。
明治維新の排仏毀釈では寺運は全く衰退し、見る影もなくなりましたが、原木村出身の日淳上人が三十六世を継ぐと、その教化に浴するものが数多く、これら信徒の寄進による浄財をもって三十七世日晃上人は堂塔の 改築に力を尽し、今日のような寺勢を見るに至ったのです。 |
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船橋行徳線(県道179号) 妙行寺 鐘楼堂 |
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船橋行徳線(県道179号) 妙行寺 山門 |
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船橋行徳線(県道179号) 妙行寺 本堂 |
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船橋行徳線(県道179号) 妙行寺 案内図 |
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船橋行徳線(県道179号) 妙行寺 祖師堂 |
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船橋行徳線(県道179号) 妙行寺 本堂
本堂大改修工事の幕の下に
飛鳥から、未来へ
西暦578年創業 世界最古の企業 金剛組
と書かれている。
敏達天皇の7年(西暦578年),四天王寺建立のため聖徳太子が百済から招いた4人の宮大工の一人が創業したものが金剛組である。 |
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船橋行徳線(県道179号) ホームが道路に架かる原木中山駅 |
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東京メトロ 東西線 原木中山駅 |