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都営 三田線 大手町駅
【撮影記録】
平成24年 9月 20日 晴れ
11:45〜13:40 10,400歩(概算 7.8km 地図上 7.0km)
大手町〜巣鴨
営業距離 6.4km 駅数 7
所用で歩き開始時間が大きく遅れたこともあり、蒸し暑さに悩まされ、汗だくになった。しかし、さすがに9月も下旬なので真夏のようなダメージは少なかった。 |
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日比谷通り 和田倉橋前 東京銀行協会ビル
和田倉橋の向かいにあり、大正5年に建てられたレンガ造り2階建てのビルの外壁2面を残している。 |
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日比谷通り 和田倉橋前 東京銀行協会ビル前 熱中症計は注意
現在時刻は11:45で、熱中症計は注意、温度26.3℃、湿度65%である。
用事を済ませてからの歩きのため、本来なら歩き終える時刻であるが、温度は意外に低い。そのかわり湿度が強烈に高く、歩き始めてすぐに汗だくになった。 |
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日比谷通り 大手町交差点で永代通りを渡る |
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日比谷通り 新築中の読売新聞本社
左折すると平将門の首塚がある。 |
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日比谷通り 大手町一丁目交差点 経団連会館 |
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日比谷通り 大手町一丁目交差点 経団連会館、JAビル |
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日比谷通り 日本橋川に架かる神田橋 |
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日比谷通り 神田橋交差点で左折、都道402号錦町有楽町線へ
日比谷通りは神田橋交差点で終わり、右手の鎌倉橋から来て直角に曲がった本郷通りになる。
日比谷公園から日比谷通りを並走してきた千代田線は、この交差点で別れて本郷通りを北上する。 |
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都道402号錦町有楽町線 錦町河岸交差点で千代田通りを渡る
半蔵門線は千代田通りを南下して錦町河岸交差点を渡り、日本橋川に架かる錦橋を進む。 |
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都道402号錦町有楽町線 一ツ橋河岸交差点で右折、白山通りへ |
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白山通り 一ツ橋交差点で神田警察通りを渡る
左に有名な共立女子大の共立講堂がある。 |
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白山通り 一ツ橋交差点で神田警察通りを渡る
左に共立講堂、右に学士会館がある。 |
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白山通り 一ツ橋交差点 学士会館 新島襄先生生誕之地碑
この碑は、学士会館の神田警察通り沿いにある。 |
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白山通り 一ツ橋交差点 学士会館 新島襄先生生誕之地碑
京都同志社の創立者新島襄先生は一八四三年(天保十四年)上州安中藩主飯倉伊予守の江戸藩邸に誕生せられた。先生は幕末における国家多難の際、わが国の前途ををうれいキりス卜教の信仰と海外事情研究を志じて二十一才(一八六四年)函館より密かに脱国、米国に渡航し新英州キリスト教文化の根本を体得せられた。母国日本の隆盛をはかるためには、単に法律、政治、経済の改革のみによって達せられるものではなく、人民の一人一人が「知識あり品位あり自ら立ち、自ら治め」うるものであり「良心の全身に充満したる丈夫」となることによってその目的を達しうるものであることを痛感せられた。留学十年、一八七四年(明治七年)帰朝、翌七五年十一月二十九日、京都に同志社を建てキリスト教をもって徳育の基本とした教育のためにその生涯を捧げられた。
この碑は、新島襄先生生誕百年を記念して建てられたが、神田錦町出身の偉大な先覚者をしのび、この解説を掲示するものてある。 |
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白山通り 一ツ橋交差点 学士会館 東京大学発祥の地碑
この碑は、学士会館の白山通り沿いにある。 |
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白山通り 学士会館 一ツ橋交差点 学士会館 東京大学発祥の地碑 |
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白山通り 学士会館 |
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白山通り 学士会館 「日本野球発祥の地」の碑
小学館ビル前交差点手前の学士会館角にある。
東京大学発祥の地。正岡子規と縁深い野球発祥の地の碑もある。正岡子規は文学を通じて野球の普及に貢献したことが評価され、没後100年目の2002年に野球殿堂入りを果たした。明治27年にべースボールを「野球」と訳したのは、第一高等中学校(のちの東大教養学部)の野球部員・中馬庚といわれているが、その前に同じ学校の先輩にあたる子規が、野球好きが高じて「野球」という雅号を用いていた。また秋山真之は、子規から教えられた野球を、海軍兵学校の生徒たちに広めた。 |
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白山通り 学士会館 「日本野球発祥の地」の碑
読みにくい碑文だが、アメリカ人教師ホーレス・ウイルソンによる野球紹介の経緯が書かれている。 |
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白山通り 小学館、集英社 |
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白山通り 神保町交差点で靖国通りを渡る
交差点の左右(靖国通り)沿いが所謂神田古本街である。 |
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都営 三田線 神保町駅 |