|
白山通り 西片交差点で左折、えんま通り商店街へ |
|
えんま通り商店街 こんにゃくえんま前交差点で千川通りを渡り、こんにゃく閻魔(源覚寺)へ
西片交差点で左手に見え、白山通りに並行する千川通り沿いにある。 |
|
千川通り こんにゃくえんま前交差点 こんにゃく閻魔(源覚寺) |
|
こんにゃく閻魔(源覚寺)
源覚寺に伝わる閻魔像で、閻魔堂に安置されている。右目が黄色く濁っているが、閻魔王が信心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして”こんにやく"を供えつづけたという言い伝えがある。このことから、眼病治療の『こんにやく閻魔』として庶民の信仰を集めた。 |
|
こんにゃく閻魔(源覚寺) 木造閻魔王坐像
木造閻魔王坐像一躯 区指定有形文化財(彫刻)
源覚寺こ伝わる閻魔像で、閻魔堂に安置されでいる。右眼が黄色〈濁っでいるが、閻魔王が信心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして“こんにゃく”を供えつづけたという言い伝えがある。このことから、眼病治癒の『こんにゃく閥魔』としで庶民の信仰を集めた。
像は、鳥さ100.4cm。ヒノキ材の寄木造りで、彩色を施し、玉眼が嵌入してある。優れたできばえを示し、運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と思われる。銘文によると、寛文12年(1672)に仏師竹内浄正が修理している。
この像は、彫刻美術品として優れているとともに、本区所在の仏像のなかで、古い製作年代に属するものとして貴重な文化財である。
閻魔王は、冥界にあって死者の生前の罪業を裁断する十王のうち、最も良く知られている。わが国の閻魔信仰は、平安時代後期にはじまり、鎌倉時代に盛んになった。 |
|
こんにゃく閻魔(源覚寺) 木造閻魔王坐像 |
|
こんにゃく閻魔(源覚寺) 塩地蔵尊
当山開創寛永元年(一六二四年)以前よりこの地にあつて人々の信仰を集めたと伝えられる。
地蔵尊のお身体に塩を盛ってお参りすることから塩地蔵と称し、その由来には、古来より塩は清めとして用いられることにより、参詣者の身体健康を祈願するものと説かれる。 |
|
こんにゃく閻魔(源覚寺) 塩地蔵尊 |
|
えんま通り商店街を東進 |
|
えんま通り商店街 旧町名案内 旧初音町
もと小石川村の内。寛永元年(1624)、こんにゃくえんまで名高い源覚寺が開かれ、その後門前町ができた。
明治2年、源覚寺門前町と下富坂西側を併せて初音町とした。
『江戸砂子』に、白山御殿(現・小石川植物園)の辺は、ほととぎすの名所で初音の里という。これからとって初音町と名づけたのてあろうとある。
源覚寺の門前に、千川(小石川・現在暗渠)にかかる嫁入橋(源覚寺橋)があった。近くの大地主北村某が嫁を迎えるにあたり、店子一同が橋を改装して祝ったという。 |
|
えんま通り商店街 西片交差点で左折、白山通りへ |
|
白山通り 文京区コミュニティバス B−ぐる バス停 文化シャッター前 |
|
白山通り 白山二丁目交差点 |
|
白山通り 白山下交差点で右折、旧白山通りへ
Y字路の交差点で、道成りでは左の白山通りである。 |
|
白山通り 白山下交差点で右折、旧白山通りへ |
|
旧白山通り 白山下交差点
白山下交差点から薬師坂(薬師寺坂、浄雲寺坂、白山坂)を上り、白山上交差点に向かう。
交差点右のマンション横の道を進むと八百屋お七の墓所がある円乗寺に着く。
「妙清寺に薬師堂有之侯に付、里俗に薬師坂と相唱候」(「御府内備考」)坂上の妙清寺に薬師堂があったので、薬師坂と名づけられた。また、坂下に浄雲院心光寺があったので、浄雲寺坂とも呼ばれた。また近くに白山神社があり、旧町名が白山前町で、白山坂ともいわれるなど、別名の多い坂の一つである。
「新撰窺京名所図会」には、「薬師堂は、土蔵造一間半四面。「め」の字の奉額、眼病全快者連名の横額あり」、と明治末年の姿を記している。
このお薬師は特に眼病に霊験あらたかであったようである。土蔵造は、江戸の防火建築で湯島本郷辺の町屋が土蔵塗屋づくりを命じられたのは、享保15年(1730)の大火後である。現存するものに無縁坂の講安寺本堂がある。 |
|
都営 三田線 白山駅
薬師坂を上り、白山上交差点手前にある。駅舎の裏で左折すると白山神社である。 |