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JR駒込駅〜駒込一丁目〜田端区民センター

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北区 王子・駒込ルートH220410


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JR/東京メトロ 南北線 駒込駅 JR/東京メトロ 南北線 駒込駅 

【撮影記録】
平成22年 4月 24日 晴れ
10:50〜12:35 6,800歩 (概算 4.8km)

春と言っても暖かくなく、雪まで降る真冬に戻る天候が繰り返されている。天気の変化も激しいので、晴れた日に撮りに行った。観光コースの王子・駒込ルートと違い、「コミュニティ」バスの色彩が濃い。
JR 駒込駅南口 駅前ロータリー JR 駒込駅南口 駅前ロータリー 

2週間前は落花頻りの桜も新緑がきれいである。正面のパチンコ店999脇の道をバスは走り、南下する。
北区 Kバス 田端循環ルート 始発 JR駒込駅 北区 Kバス 田端循環ルート 始発 JR駒込駅 

北区のコミュニティバスは、検討5路線の内、採算性などを考慮し、平成20年4月から王子・駒込、田端循環の2ルートについて試験運行を始めた。
名所旧跡を巡る王子・駒込ルートと違い、駒込駅から田端駅前通りまでは住宅街を走るコミュニティバスであり、西ヶ原交差点からは同じ経路である。

JR駒込駅から、駒込一丁目、田端区民センター、田端二丁目、田端文士村記念館、富士見橋エコー広場館、西ヶ原交差点、霜降橋、JR駒込駅に戻る巡回バスで、料金100円である。JR駒込駅、滝野川小学校、滝野川福祉保健センターで王子・駒込ルートと無料で乗り換えられる。
バス停 13
駅前ロータリー パチンコ店999横で左折、南下 駅前ロータリー パチンコ店999横で左折、南下 
五差路 東俳シャトル前で左折 五差路 東俳シャトル前で左折 

交差点名はなく、正面に東俳シャトルが建つ五差路であるが、左手前の道を進む。
東俳は劇団東俳のことで、工藤静香、雛形あきこ、井上真央などを擁する。
コーシャハイム駒込前を東進 コーシャハイム駒込前を東進 

道の両側にはマンションが建ち並び、これでいいのか、と地図で確認しながら進む。
劇団東俳本社前を東進 劇団東俳本社前を東進 

地図には東俳本社などなく、同じような交差点が続くので地図で何番目の交差点で右折するのか確認しつつ歩く。
劇団東俳本社前を東進 劇団東俳本社前を東進 

演劇の上演関係の掲示がなされている。
劇団東俳本社先交差点で右折 劇団東俳本社先交差点で右折 

地図で突き当り交差点手前で右折となっている。北区役所発行の経路図は細かく書かれているが、公共施設しか目標が書かれていない。Yahooなどの地図も表記はなく、東俳本社が書かれていれば道に間違いはない。
駒込東公園前交差点を過ぎ、南下 駒込東公園前交差点を過ぎ、南下 

左折すると駒込東公園である。「北区」のコミュニティバスであるが、駒込駅一帯は豊島区で、交差点の地域掲示板も豊島区からのお知らせである。
駒込パークハウス 旗本本郷氏の「鹿碑」と「痙賜豬碑」 駒込パークハウス 旗本本郷氏の「鹿碑」と「痙賜豬碑」 

右の駒込パークハウス前に碑があり、その先の坂を下っていく。
駒込パークハウス 旗本本郷氏の「鹿碑」と「痙賜豬碑」 駒込パークハウス 旗本本郷氏の「鹿碑」と「痙賜豬碑」
 


 この地は、江戸時代後期以降旗本・御家人の屋敷地として使用されていた土地で、幕末に発刊された「江戸切絵図」には、旗本本郷丹後守の下屋敷であったことが明記されている。
 ここに立つ2基の石碑は、寛政7年(1795)造立の「鹿碑」と、嘉永2年(1849)造立の「痙賜豬碑」であり、ともに旗本本郷氏によるものである。
 石碑には、将軍が行った鹿狩に本郷氏が側近として同行し、その際将軍から獲物を下賜されたことなどが刻まれている。いずれも豊島区域内にかつて居住していた武家の歴史を示す貴重な文化遺産として豊島区指定有形文化財にな、ている。
 明治時代になると、明治維新の三傑といわれた政治家木戸孝允(桂小五郎)がこの地を入手し別邸とした。
その後、この地域は急激に都市化が進行したが、2基の石碑は、土地所有者の文化財に対する理解のもと、
現在まで大切に伝えられてきたのである。
駒込パークハウス 旗本本郷氏の「鹿碑」と「痙賜豬碑」 駒込パークハウス 旗本本郷氏の「鹿碑」と「痙賜豬碑」
 
突き当りを左折 突き当りを左折 
北区 Kバス 田端循環ルート #2 駒込二丁目 北区 Kバス 田端循環ルート #2 駒込二丁目 

交差点を左折してすぐにこのバス停がある。
田端銀座前交差点で右折するコミュニティバス 田端銀座前交差点で右折するコミュニティバス 

同じような交差点が続き、目標の田端銀座前交差点が見えない。たまたまバスが来たので様子をみる。

この付近から豊島区から北区になる。
田端銀座前交差点で右折するコミュニティバス 田端銀座前交差点で右折するコミュニティバス 

「田端銀座前」表示はない交差点を右折する。交差点を過ぎると「田端銀座」の小旗が飾られた商店街が見える。
田端銀座前交差点で右折、谷田川通りへ 田端銀座前交差点で右折、谷田川通りへ 

交差点を渡った所に「田端区民センター」の案内表示があり、右折が正しいことを確認できる。
谷田川通り 田端銀座を横断 谷田川通り 田端銀座を横断 
北区 Kバス 田端循環ルート #3 田端三丁目 北区 Kバス 田端循環ルート #3 田端三丁目 
谷田川通り 田端不動尊 谷田川通り 田端不動尊 

よくある町のお不動さんである。
谷田川通り 田端区民センター 谷田川通り 田端区民センター 
北区 Kバス 田端循環ルート #4 田端区民センター 北区 Kバス 田端循環ルート #4 田端区民センター 
谷田川通り 田端区民センター界隈案内図 谷田川通り 田端区民センター界隈案内図 

この地図でこの通りが谷田川通りであることが分かった。現在地の赤印の少し先の縦の道が田端駅前通りで、右上に田端駅がある。
谷田川通り 田端区民センター 谷田川通り 谷田川通り 田端区民センター 谷田川通り 

 谷田川通りは谷田川が暗渠となって出来た通りです。谷田川は西ヶ原四丁目から流れていたものと推定され不忍池に注いでいた川で、藍染川とも呼ばれていました。この川に沿って、詩人の萩原朔太郎、画家の小杉放庵(未醒)、美術史の岡倉天心、評論家の小林秀雄、詩人の室生犀星、文学者の平田禿木、歌人の林古渓が住んでいました。谷田川交差点のところに谷田橋が架かっていましたが、現在は田端八幡神社の鳥居の手前に埋められています。
谷田川通り 田端区民センター 田端文士村の散歩道2 小杉放庵旧居跡地 谷田川通り 田端区民センター 田端文士村の散歩道2 小杉放庵旧居跡地 

 小杉放庵(画家・歌人 明治十四〜昭和三十九年)は明治三十三年、〈田端文士芸術家〉第一号として田端一六三(現三ー四)番地に転入しました。明治四十年、当地一五五(現三−一六)番地に二階建て家屋を築き、昭和二十年まで居住しました。その間、放庵は美術文芸雑誌『方寸』の同人として漫画や挿絵を担当、また太平洋画会・日本美術院展への出品、春陽会の創立などの業績を残しました。一方、テニスを中心とした社交場「ポプラ倶楽部」の創設をはじめ、田端人たちの交流会「道閑会」にも参加し、芥川龍之介ら文士たちとも幅広く交流しました。
 画業の他にも随筆集、歌集を刊行し多彩な別件活動を行いました。
 主な作品は、「水郷」(明治四十四年東京国立近代美術館蔵)、「湧泉」「採果」(大正十四年東京大学安田講堂壁画)など。
谷田川通り 田端区民センター 田端文士村の散歩道2 小杉放庵旧居跡地 谷田川通り 田端区民センター 田端文士村の散歩道2 小杉放庵旧居跡地 



 
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