赤羽〜東十条〜王子
【関連サイト】 | 駅開業120周年記念ウォーク 第5回 赤羽(H17−03−27) |
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JR 赤羽駅 大宮から歩いてきた時は東口であったが、今回は太田道灌が築城した稲付城跡や、王子の名主の滝公園に行く関係で西側の道を歩く。 |
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JR 赤羽駅 西口風景 写真左のイトーヨーカ堂の前の赤羽西口本通りを南下する。 |
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赤羽西口本通りを南下 1.5車線の狭い道で、車を気にしていたらただでさえ分りにくい稲付城後を通り過ぎてしまった。 |
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稲付城跡(静勝寺) イトーヨーカ堂の前の道はそこそこに広いが、急に狭くなった赤羽西口本通りを南下してすぐにある。しかし、入口は狭い路地を入っていく感じで、見落としてしまいがちである。 |
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稲付城跡(静勝寺) 稲村城跡は現在の静勝寺境内一帯にあたり、太田道灌が築城したといわれる戦国時代の砦跡です。 明暦元年(一六五五)に道灌の子孫太田資宗は静勝寺の堂舎を建立し、道灌とその父資清の法号にちなんで寺号を自得山静勝寺と改めました。その後も江戸時代を通じて太田氏は、太田道灌の木像を安置する道灌堂や厨子を造営するなど静勝寺を菩提寺としていました。 |
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稲付城跡(静勝寺) | |
稲付城跡(静勝寺) 道灌堂 右手の道灌堂の厨子内には、太田道灌の坐像が安置されています。像は、道灌の命日である七月二十六日にちなんで毎月二十六日に開扉されます。道灌堂は道灌の二百五十回忌にあたる享保二十年(一七三五)七月に建立され、厨子は三百五十回忌にあたる天保六年(一八三五)七月に製作されました。 |
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稲付城跡(静勝寺) 道灌堂 | |
稲付城跡(静勝寺) 道灌堂 | |
日光御成道散策 清水坂貝塚の所にある案内板である。 日光御成道は、王子から岩槻を経て幸手で日光街道と合流する奥州(日光)道中の街道とLて重要な道でLた。特にこの道が五街道についで重要視されていたのは、将軍日光社参の時に将軍一行の通る御成街道であったためでした。将軍の日光社参というのは、将軍が4月17日の家康年回忌などに日光東照宮に参詣することですがその行列はとても華やかだったそうです。 |
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日光御成道散策 | |
馬坂交差点で環七を渡る 世田谷区や川崎の感覚では、環七と言うと南北に走るが、ここでは東西に走る。 |
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JR 東十条駅 道から左折、路地を下りた所にある。分りにくい。 |
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十条富士塚 荒川小学校の向かい側にあり、十条冨士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信抑にもとづく祭儀を行って来た場です。 形状は、古墳と推定される球に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の五合目造くの小御岳神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を造拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られます。 |
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十条富士塚 | |
名主の滝公園に向う 中十条一丁目交差点を過ぎてすぐに案内がある。 |
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名主の滝公園沿いに三平坂を下る 轟々と男滝の水音が聞こえる。 |
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三平坂を下る 名主の滝公園の北端に沿って台地へ登る曲がりくねった坂道である。坂名の由来は、江戸時代の絵図にある三平村の名からとも、室町時代の古文書にある十条郷作人三平の名からともいわれている。農家の人が水田へ下る通路であったが、名主の滝への道としても利用されたようである。 |
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三平坂を下る | |
名主の滝公園 名主の滝公園は別ページに掲載。 江戸時代に名主の畑野孫八が湧き水を利用して開いたのが始まりである。名主の滝公園はこの正門と、王子駅に近い医王門から入る。無料で、多くの人が観光している。 |
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王子稲荷神社 七誌の滝公園から歩いてきて、王子駅の手前にある。 |
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王子稲荷神社 | |
JR 王子駅 つい1ヶ月前(平成19年4月1日)に都電荒川線沿線を歩いた時には、隣接する飛鳥山は満開の桜を見物する人で賑わっていた。 |