大井町〜大森〜蒲田
【関連サイト】 | 一番目の宿場町品川、旧東海道は下町情緒たっぷり(東海七福神巡り) (H19−01−27)(磐井神社〜大森貝塚遺跡庭園〜大井町駅) |
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「西の下町」戸越と馬込文士村を歩く(H16−09−11) | ||
梅の花の香りと馬込の文士を訪ねて(H19−02−24) |
三ツ又商店街を歩く 大井町駅東口から西口に出て、三ツ又商店街を歩く。坂を上った交差点に身代わり地蔵がある、と多くのホームページに書かれているが、本尊は観世音菩薩であり、地蔵ではない。場所が違うのか、と近くを探したが見当たらなかった。 |
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大井三ツ又交差点で池上通りに戻り、西進 | |
大井三ツ又交差点界隈案内図 この案内図にも地蔵堂と明記されている。 |
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池上通りを西進 | |
池上通り 品川区立 歴史資料館 昭和60年に開館した品川区立の歴史資料館。品川区の貴重な文化と歴史にかかわる史料を収集・保存している。 |
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池上通り 大森貝塚遺跡庭園 アメリカ人動物学者・モースにより、明治10年(1877)に大森貝塚が発掘され、日本考古学発祥の地とされる。JR京浜東北線の線路沿いに大森貝塚碑が立ち、品川区がその周辺に大森貝塚遺跡庭園を開設。庭園内には貝層の標本をはじめ、学習広場・体験広場があり、縄文時代・大森貝塚について学習できる。 |
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池上通り もう一つの大森貝塚 大森駅手前の山王口交差点手前にあり、NTTデータの敷地内にある。案内標識の下に300m手前の品川区の大森貝塚遺跡庭園にも貝塚がある、と注記されている。 |
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池上通り もう一つの大森貝塚 アメリカのエドワード・シルヴェスター・モース博士は、明治10年(1877)6月横浜から新橋へ向う車窓で、大森貝塚を発見しました。そこで土器、石器、人骨など多数の資料を発掘し、その成果を『SHELL MOUNDS OF OMORI』として刊行しました。この発掘が日本の考古学、人類学などの発展に大きく貢献するとともに日本の先史文化を海外にも広めました。 |
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池上通り もう一つの大森貝塚 偶然京浜東北線が通過したが、本当に目と鼻の先である。 |
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JR 大森駅 | |
JR 大森駅前 馬込文士村散策のみち 馬込文士村のイベントは今まで何回も参加しているが、不覚にもゴール地点の駅前の道が池上通りとは初めて知った。 |
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JR 大森駅前 天祖神社 天祖神社の西側の坂道の石垣には馬込文士村の経緯や、文士たちを紹介するレリーフで飾られている。 |
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池上通りを西進 | |
春日橋交差点で左折、環七へ | |
春日橋交差点で左折、環七へ | |
春日橋でJR京浜東北線を越える | |
沢田交差点で右折、オニタビ通り(東邦医大通り)へ オニタビとは「鬼足袋」のことで、鬼足袋工業の工場が大森にあったという。 |
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オニタビ通り(東邦医大通り)富士見橋界隈案内図 | |
オニタビ通り(東邦医大通り) 天理教大森町大教会 | |
東邦大学 医学部 | |
東邦大学 医学部 | |
梅屋敷商店街 オニタビ通り(東邦医大通り)は、JRと京急本線の間に位置し、京急の梅屋敷の北に伸びる商店街の右手に東邦大学がある。 |
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あやめ橋交差点で右折、多摩堤通りへ | |
JR 蒲田駅 東口 モアイ像 蒲田駅東口商店街と、新島本村との友好の絆を記念として造られた。碑文には以下のように書かれている。 牙をむく自然を相手に私たちの祖先は、流人ともども漁に農に力を合わせてこその生を生きた。流人もその要請によくこたえたという。古くから新島では『共同して仕事に当る』を『モヤイ』と呼ぶ。 |
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JR 蒲田駅 東口 モアイ像 | |
JR 蒲田駅 |