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本郷通り(都道455号) 西ヶ原一里塚 本郷通り(都道455号) 西ヶ原一里塚 

 慶長九年(一六〇四)二月、江戸幕府は、江戸日本橋を基点として全国の主要街道に一里塚を築き、街道の道程を示寸目安とすることを命じました。
 西ヶ原一里塚は、本郷追分の次の一里塚で、日本橋から数えると日光御成道の二番目の一里塚にあたります。都内の日光御成道は現在の本郷通りが主要なルートにあたりますが、岩淵宿から船で川口宿に渡ると鳩ヶ谷・大門・岩槻の各宿場を北上して幸手宿で日光街道に合流しました。将軍が日光東照宮に社参する際の専用街道として使用されたので、この名称が定着しましたが、岩槻藩主の参勤交代や藩の公用通行路に使われたので岩槻街道とも称されました。
 旧道をはさんで一対の塚が現存していますが、これは旧位置に保存されている都内の一里塚として貴重な文化財です。車道の中に位置する方の塚には「二本榎保存之碑」と題される大正五年六月の記念碑があります。西ヶ原一里塚は当時、東京市電の軌道延長路線上に位置したため、この工事に伴う道路改修工事で撤去されそうになりました。碑には、こうした経緯と、渋沢栄一や東京市長・滝野川町長を中心とする地元住民の運動によって保存に成功したことが刻まれています。西ヶ原一里塚は、大正時代に文化人と住民が一体となって文化財の保存に成功した例としても記念碑的な意義をもっものといえます。
本郷通り(都道455号) 西ヶ原一里塚 本郷通り(都道455号) 西ヶ原一里塚 

西ヶ原一里塚の碑は滝野川警察署の前で、本郷通りの中にポツンとある。車の往来が激しくて写真を撮ることが難しい。
本郷通り(都道455号) 黄葉のイチョウと裸木のプラタナス並木 本郷通り(都道455号) 黄葉のイチョウと裸木のプラタナス並木 

本郷通りを王子駅から駒込駅に向かい北区のKバス(王子・駒込ルート)が運行している。
本郷通り(都道455号) 東京メトロ南北線 西ケ原駅 本郷通り(都道455号) 東京メトロ南北線 西ケ原駅 
本郷通り(都道455号) 国立印刷局 東京病院 本郷通り(都道455号) 国立印刷局 東京病院 
本郷通り(都道455号) 滝野川公園 本郷通り(都道455号) 滝野川公園 
本郷通り(都道455号) 滝野川公園 本郷通り(都道455号) 滝野川公園 
本郷通り(都道455号) 平塚神社 本郷通り(都道455号) 平塚神社 

八幡太郎源義家の奥州征伐の凱旋途中、この地の領主豊島太郎近義に贈った鎧を祀った甲冑塚が平らなことから「平塚」の名が付いた。義家、義綱、義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り、立身出世、勝ち運、武芸上達の御神徳があると言う。
本郷通り(都道455号) 平塚神社前交差点で左折 本郷通り(都道455号) 平塚神社前交差点で左折 

平塚神社の脇の蝉坂を下っていくと上中里駅に到る。
本郷通り(都道455号) 平塚神社 本郷通り(都道455号) 平塚神社 

 平塚神社付近は、平安時代に豊島郡を治める郡衙のあった場所だと推定されていますが、平塚明神并別当城官寺縁起絵巻(北区指定有形文化財)の伝承によれば、この時代の末期には、秩父平氏庶流の豊島太郎近義という人物が平塚城という城館をつくります。 平塚城は源義家が後三年の役で奥州に遠征した帰路の逗留地で、義家は近義の心からの饗応に深く感謝し、使っていた鎧と守り本尊の十一面観音を下賜しました。近義は義家が没した後、城の鎮護のために拝領した鎧を城内に埋め、この上に平たい塚を築き、義家兄弟の三人の木像を作り、そこに社を建てて安置したと伝えられます。これが本殿裏側の甲冑塚とも鎧塚とも呼ばれる塚で、平塚の地名の起こりともいわれます、鎌倉・室町時代の平塚城は、この地域の領主であった豊島家代々の居城となりましたが、文明十年(一四七八)一月、泰経の時代に太田道灌によって落城してしまいます。
 江戸時代、上中里村出身の針医で当道座検校でもあった山川城官貞久は、三代将軍家光の病の治癒を平塚明神に祈願し、家光は程なく快復します。感謝した貞久は、みずからの資金で平塚明神の社殿と別当の城官寺を再興し、買った田地を城官寺に寄進します。貞久の忠誠心を暫くして知った家光は感激し、二五〇石の知行地を与え、この内の五〇石を朱印地として平塚明神に寄進させました。
平塚神社の参道沿いに蝉坂を下る 平塚神社の参道沿いに蝉坂を下る 

突き当りの階段を上ると平塚神社の社殿で、道は右に曲がりつつ下る。
平塚神社の参道沿いに蝉坂を下る 平塚神社の参道沿いに蝉坂を下る 

 六阿弥陀道の途上でもある蝉坂という名称は江戸時代の後半にはあったようで、幕府の編纂した『地誌・新編武蔵風土記』上中里村の項に『平塚明神ノ傍ニアリ、登り三・四十間』とあり、このあたりから平塚神社の参道に沿って約五十四mから七十二m余を登る坂道だとあります。坂を登りきって少し歩くと日光御成道と合流しますが、西ヶ原一里塚の方向へ右折してすぐに左折すると六阿弥陀第三番札所の無量寺へと向かう道に入ります。明治時代初期の『東京府志料』では 『或云、攻坂ノ転訛ナリト』と室町時代の平塚城をめぐる合戦を彷彿とさせるような坂名の由来を記しています。現在の坂道は昭和十八年七月、昔の坂を拡幅して出来た道です。
平塚神社の参道沿いに蝉坂を下る 平塚神社の参道沿いに蝉坂を下る 
JR 京浜東北線・根岸線 上中里駅 JR 京浜東北線・根岸線 上中里駅 
平塚神社の参道沿いに蝉坂を上る 平塚神社の参道沿いに蝉坂を上る 

白い樹の下が社殿である。
平塚神社前交差点で左折、本郷通り(都道455号)へ 平塚神社前交差点で左折、本郷通り(都道455号)へ 
本郷通り(都道455号) 旧古河庭園正門 本郷通り(都道455号) 旧古河庭園正門 
本郷通り(都道455号) 西ヶ原交差点で直進、田端高台通りへ 本郷通り(都道455号) 西ヶ原交差点で直進、田端高台通りへ 

本郷通りは右折して駒込駅に向う。

北区のKバス(王子・駒込ルート)も本郷通りに沿って駒込駅に向う。

Kバス(田畑循環ルート)は、田端駅から田端高台通りを走り、この交差点で右折、本郷通りに入り駒込駅に向う。
田端高台通り 西ヶ原交差点 滝野川図書館 田端高台通り 西ヶ原交差点 滝野川図書館 
田端高台通り 女子聖学院 田端高台通り 女子聖学院 

一九〇五年(明治三八年)十一月一日、女子聖学院は、築地A十四番館の宣教師館を校舎として発足しました。
一九〇七年十月に、滝野川中里村大字中里字西坂に移って来ます。土地三九七〇坪の購入代金は、一七八七九円五〇銭でした。そこは麦畑・茶畑で桐畑だったと言います。
一九〇三年に池袋と田端を結ぶ山手線ができ、一九一〇年までは、駒込駅はありませんでした。
明治維新以来、日本は国をあげて欧米に追いつくための組織を作り、直接国のために役立たぬと思われた美術家や文学者は、粗略に扱われ、苦しいおもいをしました。
こうした時代、芸術家にとって、ミッションスクールの存在は、正しい目でものを見る教育の場所と考えられ、信頼するに足りる学校と、思われたに違いありません。
女子聖学院の初代PTA会長は、北村西望(彫刻家)でした。その他山田敬中・吉田三郎・柚木久太・国方林三・嶋野重之など多くの芸術家が、お嬢さんを女子聖学院に託されたのです。
一九一二年四月開設の中里幼稚園(現聖学院幼稚園)にも、芥川龍之介、室生犀星のお子さんがたが通われました。室生犀星の詩の中には、聖学院の教会や宣教師が登場します。
田端高台通り 西ヶ原交差点に向かうKバス(田畑循環ルート) 田端高台通り 西ヶ原交差点に向かうKバス(田畑循環ルート) 
田端高台通り 田端中学校入口交差点 田端高台通り 田端中学校入口交差点 

交差点の先に跨線橋の富士見橋がある。
田端高台通り 山手線に架かる富士見橋 田端高台通り 山手線に架かる富士見橋 

東西を走る山手線の上に架かる橋で、前方に京浜東北線の線路が南北に見える。道の反対側では、新宿湘南ラインの線路が富士見橋手前で右に曲がり、北上するのが見える。
田端高台通りを南東に進む 田端高台通りを南東に進む 
田端高台通り 田端高台交番前交差点で左折、江戸坂へ 田端高台通り 田端高台交番前交差点で左折、江戸坂へ 
田端高台通り 田端高台交番前交差点で左折、江戸坂へ 田端高台通り 田端高台交番前交差点で左折、江戸坂へ 
江戸坂を下る 江戸坂を下る 

Kバス(田畑循環ルート)は田端駅前からこの坂を上り、田端高台通りを走り、西ヶ原交差点に向かう。
江戸坂を下る 江戸坂を下る 

 田端の台地から下谷浅草方面へ出る坂道で、坂名もそれに由来するもののようです。この坂の近くに、詩人の室生犀星、俳人の瀧井孝作、画家の池田輝方、池田蕉園夫妻、画家の岩田専太郎、詩人の福士幸次郎が住んでいました。坂上の左手に露月亭という茶屋があり、陶芸家である板谷波山が三十五歳の頃、そこで、飛鳥山焼と銘を入れた徳利と猪日を売ったことがあったということです。
田端駅前 田端文士村記念館 田端駅前 田端文士村記念館 

田端文士村記念館には、芥川龍之介、室生犀星、小杉放庵、板谷波山ら、田端にゆかりのある作家・芸術家の原稿、書簡、絵画、彫刻などを展示されている。
江戸坂 田端駅前交差点で左折、田端駅前通り(都道458号)へ 江戸坂 田端駅前交差点で左折、田端駅前通り(都道458号)へ 

Kバス(田畑循環ルート)は右から来て左折、田端文士村記念館前を通り、江戸坂を上って行く。
JR 京浜東北線・根岸線 田端駅 JR 京浜東北線・根岸線 田端駅 



 
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