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JR 中央線快速 始発 東京駅 八重洲口 JR 中央線快速 始発 東京駅 八重洲口 

中央線快速は東京駅を始発とし、新宿、三鷹、立川、八王子を経て高尾を終点とする。
駅数 21、営業距離 53.1km

快速は平日は中野以西は各停であるが、別途撮影した三鷹から千葉までの総武線と重なる。そのため、中野〜三鷹までで荻窪、吉祥寺しか停まらない土日休日ダイヤで歩くこととした。

【撮影記録】
平成26年 5月 16日 晴れ
10:20〜11:35(昼食 20分) 5,400歩(歩行距離 概算 3.8km 地図上 3.0km)
中央線快速 東京駅〜神田駅〜御茶ノ水駅
駅数 3、営業距離 2.6km

3日前に腰痛、膝痛のリハビリで横浜の公園巡りをしたので、当初から計画していた中央線快速の歩きを始めた。しかし、横浜では公園で休み休み歩いたので問題なかったが、今回のコースは休むところがなく、神田付近から体調がおかしくなり、なんとか御茶ノ水まで歩いて、中止した。
八重洲口から左折、外堀通りを北上 八重洲口から左折、外堀通りを北上 
外堀通り 再開発中の旧第1、第2鉄鋼ビル 外堀通り 再開発中の旧第1、第2鉄鋼ビル 

どこまでが第1なのか第2なのか分からなくなっている。
外堀通り 呉服橋交差点で永代通りを渡る 外堀通り 呉服橋交差点で永代通りを渡る 
外堀通り 呉服橋交差点で永代通りを渡る 外堀通り 呉服橋交差点で永代通りを渡る 
外堀通り 日本橋川に架かる一石橋 外堀通り 日本橋川に架かる一石橋 

高架は首都高都心環状線である。

一石(いちこく)橋の親柱

 皇居外堀と日本橋川が分岐する地点に架橋された一石橋の歴史は古く、江戸初期の「武州豊島郡江戸庄図」にすでに木橋として見えています。当時は西河岸町と北鞘町とを結ぶ橋で、橋名の由来としては、北橋詰近くの本両替町に幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰近くの呉服町には、幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤をもじって五斗、五斗+五斗で一石と名付けたと「江戸砂子」に見え、日本橋地区と神田地区を結ぶ橋として重要でした。
 木橋としては最後となった明治六年(一八七三)の一石橋は長さ十四間、幅三間の橋でした。大正十一年(一九二二)に東京市道路局によって鉄骨コンクリート花崗岩張りのモダンな橋となり、堂々とした親柱四基をすえた白亜の橋となったのです。関東大震災にも落橋せず、その後も交通上の重要な橋として使われてきました。平成九年には大正十一年の橋本体は全て撤去されましたが、威風堂々とした花崗岩の親柱一基は残され、当時の姿をしのばせています。
 平成十四年に中央区民文化財に登録されました。
外堀通り 日本橋川に架かる一石橋 外堀通り 日本橋川に架かる一石橋 
外堀通り 一石橋南詰 一石橋迷子しらせ石標 外堀通り 一石橋南詰 一石橋迷子しらせ石標 

左の迷子しらせ石標は以前は保護のため柵で囲われていたが、今回は撤去されていた。
外堀通り 一石橋南詰 一石橋迷子しらせ石標 外堀通り 一石橋南詰 一石橋迷子しらせ石標 
外堀通り 一石橋南詰 一石橋迷子しらせ石標 外堀通り 一石橋南詰 一石橋迷子しらせ石標 

 江戸時代も後半に入る頃、この辺から日本橋にかけては盛り場で迷子も多かったらしい。
 迷子がでた場合、町内が責任をもって保護することになっていたので、付近の有カ者が世話人となり、安政四年(一八五七)にこれを建立したものである。
 柱の正面には「満よい子の志るべ」、右側には、「志らする方」、左側には「たづぬる方」と彫り、上部に窪みがある。利用方法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙をはり、それを見る通行人の中で知っている場合は、その人の特徴を書いた紙を窪みに馳って迷子や尋ね人を知らせたという。いわば庶民の告知板として珍しい。このほか浅草寺境内と、湯島天神境内にもあったが、浅草寺のものは戦災で破壊された。
外堀通り 常盤橋交差点で千代田区道104号を渡る 外堀通り 常盤橋交差点で千代田区道104号を渡る 

左に日本橋川に架かる常盤橋があり、常盤橋門跡と常盤橋公園がある。右手前の高層ビルは日銀貨幣博物館で、右横を進むと日本橋三越本店新館、日本橋に出る。正面の低層ビルは日銀本店である。
外堀通り 新常盤橋交差点で右折、江戸通りへ 外堀通り 新常盤橋交差点で右折、江戸通りへ 
江戸通り 新常盤橋交差点 熱中症計は注意 江戸通り 新常盤橋交差点 熱中症計は注意 

現在時刻は10:30で、熱中症計の温度は28.5℃、湿度は46%である。

5月中旬なのに夏日で少し暑いが、耐えられないほどではない。
江戸通り 中央区立 常磐小学校 江戸通り 中央区立 常磐小学校 

 常磐小学校は明治6年に開校し、現在使用されている建物は、関東大震災を機に、耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造の校舎として建て替えられたものである。
 震災復興期の小学校建築には、装飾性を加味したものと、機能を重視したインターナショナル・スタイル(国際建築様式)の二つの傾向があったが、この校舎は前者の代表作である。
 アーチのついた出入口、半円形の窓とその窓台、半円形の庇など幾何学的な装飾が特徴で、建築様式としては表現主義と呼ばれる。
 ビルが林立する中で、今なお往時の景観を残している。

震災復興期の小学校建築として、銀座みゆき通りの泰明小学校も有名である。
江戸通り 中央区立 常磐小学校 江戸通り 中央区立 常磐小学校 
江戸通り 室町三丁目交差点で左折、 中央通りへ 江戸通り 室町三丁目交差点で左折、 中央通りへ 
中央通り 日本橋ふくしま館 中央通り 日本橋ふくしま館 

今年(平成26年)の4月にオープンした福島県の物産、観光拠点である。11時からオープンなので立ち入ることは出来なかった。

同じような機能のアンテナショップの福島県八重洲観光交流館は、東京駅八重洲口の八重洲ブックセンターと鍛冶橋交差点の間にもある。
中央通り 今川橋由来碑 中央通り 今川橋由来碑 

 今川橋が神田堀(別名神田八丁堀・龍閑川)に架設されたのは天和年間(一六八一〜八三)との記録があります。橋名の由来は、当時の名主今川氏の尽力により架けられたのでその名が残りました。この橋は日本橋から中山道に通ずる重要な橋でもありました。 神田堀は現在の千代田区神田・中央区日本橋地域の境を流れ、その役割は非常に大きく当時の運輸手段の主流でもありました。
 昭和二十五年(一九五二)龍閑川は埋立てられ、三百年近く馴れ親しんだ今川橋も撤去され、現在はその面影もありません。
 左図の絵図は江戸時代末期頃の界隈風景てす。この橋辺には陶磁器をあきなう商家が立ち並び、大層賑わったといいます。
中央通り 今川橋交差点 中央通り 今川橋交差点 

東京では今川焼きと呼ばれ、一般的には大判焼きと言われたり、姫路では御座候などと言われる菓子はこの界隈が発祥の地と言われる。

東京で生まれ育ったため、地方で何故一般名詞の(と思っていた)今川焼きと呼ばないのか不思議に思ったこともあった。もっとも今でこそ東京の名物となった「もんじゃ焼き」も、昔は月島界隈の極めてローカルなものでほとんど知られていなかった。
中央通り 東北縦貫線(上野東京ライン)開業に合わせて改装された神田駅 中央通り 東北縦貫線(上野東京ライン)開業に合わせて改装された神田駅 

今年度(平成26年)末に開業予定の東北縦貫線(上野東京ライン)は、山手線、東北新幹線、上野東京ラインの3階建てである。上野から東京はノンストップで神田駅には停まらない。
JR 中央線快速 神田駅 JR 中央線快速 神田駅 



 
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