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東海道四谷怪談 於岩稲荷H260529

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歴史点描 江戸風景 於岩稲荷、於岩稲荷田宮神社


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新宿通り 四谷三丁目交差点で左折、外苑東通りへ 新宿通り 四谷三丁目交差点で左折、外苑東通りへ 


於岩稲荷に寄るため左折して外苑東通りを南下する。そのまま直進すると信濃町駅に着く。
外苑東通り 四谷警察署交差点 外苑東通り 四谷警察署交差点 

新宿通りの四谷三丁目交差点で左折、外苑東通りへ入り南下してすぐの交差点である。
外苑東通り 左門町交差点で左折 外苑東通り 左門町交差点で左折 

一方通行の狭い道に入る。
顕性寺前で左折、住宅街へ 顕性寺前で左折、住宅街へ 

目標となる顕性寺の左手の住宅街の小道に入る。入ってすぐに右手の於岩稲荷と、左奥の於岩稲荷田宮神社の赤い幟が見える。
顕性寺前で左折、住宅街へ 顕性寺前で左折、住宅街へ 

顕性寺案内

(山 号) 金剛山 蓮華院
(本 尊) 大日如来
(宗 派) 真言宗豊山派
(総本山) 長谷寺 奈良県桜井市初瀬
(祖 師) 宗 祖 弘法大師(空海)
       中興祖 興教大師(覚釵)
       派 祖 専誉僧正

(開 宗)
真言宗は、平安時代初期に弘法大師によって、中国からもたらされ、わが国で開宗されました。
(教 え)
大日如来の真実の言葉として示される教えを私たちが信仰し体得することによって、この身がそのまま仏さまになることができるという教えです。
(独誦するお経)
曼荼羅の思想は大日如来の智慧と真理を現わし、すべての世界はその総徳に包括されるのです。真言宗はこの教えに基き理想の社会をめざします。
(札 所)
御府内八十八ヶ所 第四十四番 般若理趣経・般若心経・観音経・光明真言等諸真言
(ご宝号)
南無大師遍照金剛・南無興教大師・南無専誉僧正
(行 事)
初大師供養会(一月二十一日)施餓鬼会(七月十八日)
住宅街に入ってすぐ右に於岩稲荷の赤い幟 住宅街に入ってすぐ右に於岩稲荷の赤い幟 

左奥には於岩稲荷田宮神社の赤い幟が見える。
於岩稲荷 山門 於岩稲荷 山門 

於岩稲荷には何回も来ているが、境内の色々な案内板は一新され、内容もオドロオドロしいお岩様から貞節で縁結びをするお岩様へ、とイメージチェンジが図られている。
於岩稲荷 お岩さまと縁結び 於岩稲荷 お岩さまと縁結び 

山門の左にあり、参道は狭い。

「東海道四谷怪談」でおなじみのお岩さん。
この怖いお岩さんが出てくる四谷怪談はじつは後世の人が創作した物語なのを知っていますか?
舞台であるここ、四谷は東海道ではないことからも後に作られた物語だということがわかります。
江戸時代に実在した女性「お岩」は家庭をとても大事にした貞淑な妻だったとも伝えられています。
このお岩さまを祀る陽運寺は、「えんむすび」の寺としても全国に知られています。
悪縁を切り、良縁を結ぶお岩さま。
厄除け、縁結び、芸道上達、また新たに出会いを望まれる方もぜひ、本堂からご参詣ください。
於岩稲荷 本堂 於岩稲荷 本堂 

江戸時代、文政八年七月歌舞伎戯作者四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に喧伝され、於岩様庶民の畏敬を受け当山その由縁の所として現在に至ったが戦災に遭い協議の上本堂を栃木下野から薬師堂を移築再建した棟札には宝暦七年とある。於岩様の戒名は徳證院妙年日正大姉、墓は元鮫ヶ橋にあったが現在は移転し巣鴨新庚申塚にある。当堂内には於岩様御尊像奉祀され参拝者祈願の対象となり境内には由縁の井戸、再建記念碑等がある。
於岩稲荷 由来の事 於岩稲荷 由来の事 

江戸時代、文政八年七月 歌舞伎作者 四世 鶴屋南北作
「東海道四谷怪談」が世に広まり、お岩様が庶民の畏敬を集めました。
この地にあったお岩様の霊動が戦災に遭ったため栃木県沼和田から薬師堂を移築再建し当寺が開山されました。
境内にある泰山木の下にお岩様縁の祠があったと伝えられ陽運寺の起源とされています。
薬師堂の棟札には宝暦七年と記されており二五〇年以上の歴史のある建物です。
当堂内にはお岩様の立像が奉祀され、厄除け、ご縁事、芸能事に霊験があると多くの参拝者の信仰を集めています。境内にはお岩様由縁の井戸、再建記念碑等があります。
於岩稲荷 お岩稲荷霊堂再建記念碑 於岩稲荷 お岩稲荷霊堂再建記念碑 
於岩稲荷 於岩稲荷 水かけ福寿菩薩 於岩稲荷 於岩稲荷 水かけ福寿菩薩 

「於岩稲荷 水かけ福寿菩薩」

 お題目(南妙法蓮華経)を唱えながら、お水をおかけ下さい。
あなたの厄が除かれ、あなたに福寿(幸福)が訪ずれます。
於岩稲荷 お岩さま 縁の井戸 於岩稲荷 お岩さま 縁の井戸 

お岩さま 縁の井戸

現在も御霊水として使われています。
於岩稲荷 熱中症計は警戒 於岩稲荷 熱中症計は警戒 

現在時刻は10:25で、熱中症計の温度は30.9℃、湿度は51%である。

歩き始めてすぐに汗が滴り落ち、5月下旬なのに真夏日で暑いが、耐えられないほどではない。腰が少しうづくものの、何とか歩けそうである。
於岩稲荷田宮神社 於岩稲荷田宮神社 

於岩稲荷の斜め向かいにある。

 文化文政期に江戸文化は爛熟期に達し、いわゆる化政時代を出現させた。「東海道四谷怪談」の作者として有名な四代目鶴屋南北〔金井三災の門人で幼名源蔵、のち伊之助、文政十二年(一八二九)十一月二十七日歿〕も化政時代の著名人である。「東海道四谷怪談」の主人公田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)の妻お岩を祭ったお岩稲荷神社の旧地である。物語は文政十年(一八二七)十月名主茂八郎が町の伝説を集録して、町奉行に提出した「文政町方言上」にある伝説を脚色したものである。明治五年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、昭和二十七年再びここに移転したものである。
於岩稲荷田宮神社 於岩稲荷田宮神社 

田宮稲荷神社跡

 田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった社です。初代田宮又左衛門の娘お岩(寛永一三年没)が信仰し、養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。
鶴屋南北の戯曲「東海道四谷怪談」が文政八年(一八二五)に初演されると更に多くの信仰を集めるようになります。戯曲は実在の人物からは二百年後の作品で、お岩夫婦も怪談話とは大きく異なり円満でした。稲荷社は明治一二年(一八七九)に火事で消失し、その際初代市川左団次の勧めで中央区新川に移転しました。しかし、その後も田宮家の住居いとして管理されており、昭和六年(一九三一)に指定されました。戦後、昭和二七年(一九五二)に四谷の旧地にも神社を再建し現在に至っています。
於岩稲荷田宮神社 於岩稲荷田宮神社 
突き当りを左折 突き当りを左折 
右折して外苑東通りへ 右折して外苑東通りへ 

外苑東通りに出てすぐ左手に四谷警察署交差点がある。
外苑東通り 四谷三丁目交差点で左折、新宿通りへ 外苑東通り 四谷三丁目交差点で左折、新宿通りへ 

交差点の左角に四谷消防署と併設した消防博物館がある。



 
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