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本郷通り 飛鳥山交差点
飛鳥山交差点で明治通りが直角に右折して西に向かい、荒川線は明治通りの東側を並行して走る。飛鳥山駅は右に曲がった所にあり、三ノ輪橋駅行きの電車が明治通りに出てきたところである。 |
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都電荒川線 飛鳥山駅
飛鳥山交差点の先で右折した所にある。 |
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本郷通り 飛鳥山交差点で左折、明治通りへ |
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明治通り 滝野川馬場ふれあい歩道橋
右に首都高中央環状線の防音壁がある明治通りを南西に進み、最初の歩道橋のすぐ先の交差点で左折する。 |
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明治通り 滝野川馬場ふれあい歩道橋のすぐ先の交差点で左折
信号もなく、交差点名の標識もないが、左折すると目の前の右に桜丘高校の校舎がある。 |
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桜丘高校前で右折、桜丘中高校沿いに進む |
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滝野川一丁目交差点で左折
滝野川一丁目駅に行った後、戻って道成りに直進する。 |
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東京スカイツリーを見つつ、坂を下る
正面に東京スカイツリーが見え、坂の途中の踏切に滝野川一丁目駅がある。 |
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都電荒川線 滝野川一丁目駅 |
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滝野川東区民センター前を南下 |
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天理教 麹町大教会前を南下 |
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踏切の左右に西河原四丁目駅
荒川線の多くの駅にあるように、踏切の左右に駅がある。 |
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都電荒川線 西河原四丁目駅 |
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西河原四丁目交差点で右折
Y字路の交差点である。 |
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お岩通り 巣鴨五丁目交差点で右折
お岩通りはこの交差点から白山通りまでの通称で、お岩さんの墓所である妙行寺があることに由来する。
左折するとすぐ先に荒川線の踏切がある。 |
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踏切を渡り妙行寺へ
踏切を渡ると、すぐ左手は四谷怪談のお岩さんの墓がある妙行寺である。 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所)
寛永元年(1624)、四谷に創建され、明治42年に現在地に移転。本堂奥の墓地には歌舞伎「東海道四谷怪談」の主人公となったお岩さんの墓がある。また忠臣蔵の浅野家の墓や浅野内匠頭夫人・瑶泉院の供養塔、魚河岸の生類を供養する「魚河岸供養塔」や「うなぎ供養塔」がある。
門前の石碑には明治42年に四谷から移転したお岩様の寺と書かれている。左の小振りの石碑は忠臣蔵の浅野家の墓の案内である。 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所)
右から 浅野内匠頭長直公夫人 高光院墓 浅野内匠頭長矩公夫人 瑶泉院供養塔 浅野大学長広公夫人 遵光院墓 と書かれている。
浅野長直は、赤穂藩初代藩主で、長矩はその孫である。長矩の墓と、瑶泉院の墓は高輪泉岳寺にある。 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) 本堂 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) 境内案内図 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) うなぎ供養塔、納骨堂 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) 本堂と客殿の渡り廊下の下を進み右折 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) お岩様の墓所案内
渡り廊下の下をくぐり抜けると墓地で、入口にお岩様の墓所の案内が立っている。 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) 突き当りの鳥居の前で左折
墓所の奥になぜか鳥居があり、その裏に案内が掲げられている。 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) 由緒
お岩様が、夫伊右衛門との折り合いが悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永十三年二月二十二日であり爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代日遵上人の法華教の功徳により一切の因縁が取り除かれた。 この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に移転した。 お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) お岩様の墓
赤穂浅野家夫人の墓所の裏にあり、五輪塔ではあるが、摩耗が目立つ。 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) 赤穂浅野家夫人 墓所
中央が浅野内匠頭長直公夫人 高光院墓、左が浅野内匠頭長矩公夫人 瑶泉院供養塔、右が浅野大学長広公夫人 遵光院墓である。
浅野長直は赤穂藩の藩祖で、3代長矩は松の廊下事件で自刃、長広は弟で赤穂藩復興を望んだが認められず、吉良邸討ち入りとなった。 |
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妙行寺(お岩さん、赤穂浅野家夫人墓所) 史跡墓所 浅野内匠頭長矩公夫人 瑶泉院供養塔 |