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秋の四天王寺散策H251008




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秋の大阪(四天王寺、大坂城、中之島公園)散策H251008(四天王寺前夕陽ケ丘駅〜四天王寺〜生国魂神社)

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四天王寺 乾門 四天王寺 乾門 

谷町筋を南下し、敷地の北西角にある乾門から境内に入る。

当初は四天王寺の西参道にある石鳥居から境内に入る予定だったが、5分歩いても石鳥居に近づいている様子も感じられず、地元の人に聞いて乾門から入った。石鳥居から戻って谷町筋を戻った感じでは10分ほどかかるようだった。
四天王寺 元三大師堂 四天王寺 元三大師堂 

元三大師堂(重要文化財) は寄棟造、瓦葺き。元和4年(1618年)建立。境内西北の墓域に位置する。
四天王寺 大黒堂 四天王寺 大黒堂 

元三大師堂の東に隣接する。
四天王寺 英霊堂 平和・祈りのともしび 四天王寺 英霊堂 平和・祈りのともしび 

英霊堂 平和・祈りのともしび

 当堂は明治三十九年(一九〇六)、聖徳太子の御遺徳を奉讃する頌徳鐘楼として建立され、重量四萬二千貫の世界一の大梵鐘がつられていました。大梵鐘は第二次大戦中供出されましたが、戦後、世界の平和を祈り、国のために我が身を捧げられた英霊を祀るお堂として、英霊堂と改名されました。ご本尊は比叡山西塔黒谷よりもたらされた阿弥陀如来立像で、左右に持国天、増長天をお祀りしています。
 堂前の石柱は聖徳太子を称えた次の文言が古代丈字で書かれています。
 (右)敬禮救世観世音 傳燈東方粟散王
    (敏達天皇十二年(五八三)七月、百済の賢人、日羅が来朝し、聖徳太子を拝し唱えた言葉と伝えられています。「救世観世音の生まれ変わりであり、仏法の法脈を伝える東方日本の王である聖徳太子に敬って礼拝します。」) 
 (左)従於西方来誕生 開演妙法度衆生           
    (「聖徳太子講式」に、右に続く文言として伝えられています。
    西方より来るとは、聖徳太子の前世はインドの勝鬘夫人、中国の南岳慧思であったとの伝説をさします。開演妙法度衆生とは日本仏法開租である聖徳太子が、人々に尊い仏教の教えをおしひろめ、導かれたことをさします。日羅が聖徳太子を礼讃すると、日羅の全身から光が放たれ、聖徳太子の眉間から光明が放たれたと伝えられています。)

(以下略)
四天王寺 英霊堂 平和・祈りのともしび 四天王寺 英霊堂 平和・祈りのともしび 

何ヶ所か伏せ字になっている部分がある。最初の部分は梵鐘の重量で、「四萬二千貫」が「XXトン」となっている。4貫は15sなので、換算すると160万トン弱となる。戦艦大和が約7万トンなので、いかに大梵鐘とはいえ、20隻以上とは考えにくい。
四天王寺 重要文化財 六時礼讃堂(六時堂) 四天王寺 重要文化財 六時礼讃堂(六時堂) 

英霊堂の先で右折し、六時礼讃堂に向かう。
四天王寺 重要文化財 石舞台 四天王寺 重要文化財 石舞台 
四天王寺 重要文化財 六時礼讃堂(六時堂)、石舞台 四天王寺 重要文化財 六時礼讃堂(六時堂)、石舞台 

六時堂(重要文化財) − 中心伽藍の背後に位置する。入母屋造、瓦葺き。元和9年(1623年)建立。椎寺薬師堂(境内北西、大江小学校付近にあった)を移建したもの。堂内には薬師如来坐像と四天王像を安置する。

石舞台(重要文化財) − 堂の手前の「亀の池」の中央にある石舞台は「日本三舞台」の一つとされ国の重要文化財である(他2つは、住吉大社の石舞台、厳島神社の平舞台)。この舞台では毎年4月22日の聖霊会(聖徳太子の命日法要)の日に雅楽が終日披露される。四天王寺の雅楽は、宮中(京都)、南都(奈良)と共に三方楽所とされた「天王寺楽所」によって伝えられ、雅楽の最古の様式を持ち、現在は「雅亮会」が伝統の様式を継承している。
四天王寺 北引導鐘堂(黄鐘楼) 四天王寺 北引導鐘堂(黄鐘楼) 
四天王寺 中心伽藍 西重門、五重塔、金堂 四天王寺 中心伽藍 西重門、五重塔、金堂 

西重門をくぐると右に五重塔、左に金堂があり、拝観料が必要である。

四天王寺は3年前に隅から隅まで見ているので、今回は入らなかった。
四天王寺 境内案内図 四天王寺 境内案内図 
四天王寺 中心伽藍 金堂 四天王寺 中心伽藍 金堂 

金堂 - 入母屋造で屋根は上下二重とする。中門、講堂と同様、錣葺とし、鴟尾を乗せる。外観は法隆寺金堂に似るが、裳階(もこし)を付さない点が異なっている。内部には中央に本尊救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)像、向かって左に舎利塔、右に六重塔を安置し、仏壇周囲に四天王像が立つ。周囲の壁面には中村岳陵筆の「仏伝図」の壁画がある。
四天王寺 中心伽藍 五重塔 四天王寺 中心伽藍 五重塔 

五重塔 - 現在の塔は1959年(昭和344年)建立の八代目。
四天王寺 西大門(極楽門) 四天王寺 西大門(極楽門) 
四天王寺 西大門(極楽門) 四天王寺 西大門(極楽門) 

西は極楽浄土に通ずるということで極楽門という。
四天王寺 境内案内図 四天王寺 境内案内図 

四天王寺は、聖徳太子が推古天皇元年(五九三)摂政皇太子として最初に建立された寺であります。父用明天皇が崩御された後、皇位の継承をめぐって崇仏派の蘇我馬子等と排仏派の物部守屋等が相争った時、当時十四歳の少年でありましたが、後の聖徳太子、厩戸豊聡耳皇子は、馬子等の崇仏派のために、仏法守護神である四天王に戦勝を祈願されたものです。幸い戦いは崇仏派の勝利に終わりました。聖徳太子は、二十歳の時、摂政皇太子となられるに及んで、荒陵の地に日本最初の官寺を建立して、ここに四天王を祀り、また四箇院の制に則って、各種の社会事業の施設を設けられました。
四天王寺 日本三鳥居 石の鳥居 四天王寺 日本三鳥居 石の鳥居 

日本三鳥居とは、吉野金峯山寺の銅の鳥居、安芸宮島の木の鳥居、大阪天王寺の石の鳥居である。



 
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