日光街道 散策
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(1)千住宿
旧日光街道 千住宿 本陣跡 旧日光街道 千住宿 本陣跡 

北千住駅から日光街道(国道4号線)に向う商店街を西進、北千住2丁目交差点を右折する。写真のOPENの標識があるビルの壁に本陣跡の説明板が掲げられている。
旧日光街道 千住宿 本陣跡 旧日光街道 千住宿 本陣跡 

この案内板の北側一帯が本陣(大名等専用の宿屋)で千佳宿ではここ一ヶケ所だけでした。敷地は三百六十一坪、建坪百二十坪であったと記録されています。
旧日光街道 千住宿 旧日光街道 千住宿 

北千住2丁目交差点を左折、千住大橋までの商店街である。この交差点を右折すると本陣跡となる。
但し、道の所々に千住宿の遺構があるものの、品川宿のように「旧日光街道 千住宿」を売り物にはしていないので、知らずに通り過ぎてしまう可能性が高い。5年前の日比谷線を始め、千代田線沿線を歩いた時も気付かなかった。
旧日光街道 千住宿 問屋場・貫目改所跡 旧日光街道 千住宿 問屋場・貫目改所跡 

東京芸術センターの道沿いに碑と、説明板がある。
旧日光街道 千住宿 問屋場・貫目改所跡 旧日光街道 千住宿 問屋場・貫目改所跡 

旧日光街道の西側にあたるこの場所には、江戸時代に千住宿の問屋場と貫目改が置かれていました。
 宿場は、幕府の許可を得た旅行者に対して、人足と馬を提供することを義務づけられてぃました。千住宿は、50人、50疋てす。この問屋場で、人馬の手配をしました。問屋場は元禄8年(1695)に設けられました。また、寛保3年(1743)に貫目改所が設けられ、荷物の重量検査のための秤が備えられました。馬に積める荷物には制限があり、40貫目(150kg)を積むと本馬、20貫目あるいは人が乗って5貫目の手荷物を積んだものを軽尻と呼び、次の草加宿までの運賃が定められていました。
旧日光街道 千住宿 問屋場・貫目改所跡 旧日光街道 千住宿 問屋場・貫目改所跡 
旧日光街道 千住宿 旧日光街道 千住宿 
旧日光街道 千住宿 足立区コミュニティバス はるかぜ 旧日光街道 千住宿 足立区コミュニティバス はるかぜ 

北の荒川に架かる千住新橋と、隅田川に架かる千住大橋の間を日光街道、旧日光街道、北千住駅とを巡回するバスで、料金は200円である。
旧日光街道 千住宿 足立区コミュニティバス はるかぜ 旧日光街道 千住宿 足立区コミュニティバス はるかぜ 
旧日光街道 千住宿 源長寺 延命子育て地蔵 旧日光街道 千住宿 源長寺 延命子育て地蔵 
旧日光街道 千住宿 源長寺 延命子育て地蔵 旧日光街道 千住宿 源長寺 延命子育て地蔵 
旧日光街道 千住宿 源長寺 旧日光街道 千住宿 源長寺 

源長寺は、旧日光街道と墨堤通りとが交差する千住仲町交差点角にある。
旧日光街道 千住宿 源長寺 旧日光街道 千住宿 源長寺 

慶長三年(一五九八)この地に住み開拓した石出掃部亮吉胤により、同十五年(一六一〇)一族の菩提寺として開かれたが、千住大橋架橋等に尽した郡代伊奈備前守忠次を敬慕してその法名にちなむ寺号を付して開基としている。
 本尊は、阿弥陀如来である。
旧日光街道 千住宿 源長寺 旧日光街道 千住宿 源長寺 
旧日光街道 千住宿 やっちゃ場跡 旧日光街道 千住宿 やっちゃ場跡 

やっちゃ場とは、多くの問屋のせり声がやっちゃやっちゃと聞こえてくる場所(市場)から来たと言われる。

旧日光街道の南端には、千住大橋の北詰に足立市場がある。
旧日光街道 千住宿 やっちゃ場跡 旧日光街道 千住宿 やっちゃ場跡 

このよう名札が掲げられている。
旧日光街道 千住宿 やっちゃ場跡 旧日光街道 千住宿 やっちゃ場跡 
旧日光街道 千住宿 千住宿プチテラス 旧日光街道 千住宿 千住宿プチテラス 

昭和5年に建てられた紙問屋の横山家の土蔵が足立区に寄付され、平成5年に区民ギャラリーとして開設された。
旧日光街道 千住宿 京成本線のガード下を歩く 旧日光街道 千住宿 京成本線のガード下を歩く 
旧日光街道 千住宿 足立区コミュニティバス はるかぜ 旧日光街道 千住宿 足立区コミュニティバス はるかぜ 
旧日光街道 千住宿 奥の細道プチテラス 旧日光街道 千住宿 奥の細道プチテラス 

日光街道との合流点である千住大橋北詰、足立市場前交差点手前にある。
旧日光街道 千住宿 奥の細道プチテラス 旧日光街道 千住宿 奥の細道プチテラス 

千住が奥の細道への旅立ちの地であり、矢立初めの句が残されている。

「行く春や 鳥啼き 魚の 目に泪」
旧日光街道 千住宿 奥の細道プチテラス 旧日光街道 千住宿 奥の細道プチテラス 
千住大橋北詰、足立市場前交差点 千住大橋北詰、足立市場前交差点 
千住大橋 千住大橋 

隅田川に架けられた橋としては最も古く、最初の架橋は徳川家康入府4年後の文禄3年(1594年)である。現在の橋は昭和2年架橋の大橋と、昭和47年閑静の二重橋構造で、大橋から上流は荒川、下流は隅田川となる。
千住大橋 千住大橋 

松尾芭蕉の矢立初めの句が残されている。

「行く春や 鳥啼き 魚の 目に泪」
千住大橋 千住大橋 

当初はただ大橋と呼ばれていたが、下流に大橋が作られたことから千住大橋と呼ばれるようになった。奥羽、日光、水戸街道の要地を占め、東北への唯一の大橋であった。
千住大橋 千住大橋 

今時千住大橋のような賑やかな場所に「八紘一宇」の碑が残っているのは珍しい。
首相にもなった林銑十郎の揮毫である。
千住の河岸 千住の河岸 

江戸時代千住大橋の袂の河岸には、秩父から荒川の水運を利用して高瀬舟で運ばれてきた材木を取り扱う家が並んだ。

(2)小塚原刑場跡 回向院

南千住駅 南口のJR常磐線ガード 南千住駅 南口のJR常磐線ガード 

ガード手前右に小塚原回向院があり、常磐線と、次の日比谷線との間に小塚原刑場跡がある。

左には南千住駅がある。
小塚原 回向院 小塚原 回向院 

営団地下鉄 日比谷線南千住駅傍にあり、両国回向院の別院である。来歴によると、小塚原で処刑された罪人は両国回向院に葬られたが、手狭になりここに葬られた。
江戸時代の処刑者は20万人と言われ、安政の大獄で処刑された吉田松陰、橋本左内を始め、ねずみ小僧、直侍、最後の処刑者 高橋お伝などの墓がある。
小塚原 回向院 小塚原 回向院 

回向院は、寛文七年(一六六七)、本所回向院の住職弟誉義観が、行路病死者や刑死者の供養 のために開いた寺で、当時は常行堂と称していた。
 安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。
 明和八年(一七七一)蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが、小塚原で刑死者の解剖に立ち合った。後に『解体新書』を翻訳し、日本医学史上に大きな功績を残したことを記念して、大正十一年に観臓記念碑が建立された
小塚原 回向院 史跡参拝所 小塚原 回向院 史跡参拝所 

右から腕の喜三郎、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)である。
腕の喜三郎は、罪人ではなく、怪我した腕を鋸で切り落とした任侠だそうである。
小塚原 回向院 史跡参拝所 小塚原 回向院 史跡参拝所 

右から片岡直三郎(直侍)、ねずみ小僧次郎吉である。ねずみ小僧の墓は両国回向院にもあり、どちらが正しいのかは知らない。
小塚原 回向院 史跡参拝所 小塚原 回向院 史跡参拝所 

約4年前に始めて来た時にはねずみ小僧などの墓は入口手前にあった。このような整備されたものではなかった。
小塚原刑場跡(延命寺) 小塚原刑場跡(延命寺) 

JRの高架の下にひっそりとあり、何回かこの近くまで来ていたが、気が付かなかった。
小塚原刑場跡(延命寺) 小塚原刑場跡(延命寺) 
小塚原刑場跡(延命寺) 首切地蔵 小塚原刑場跡(延命寺) 首切地蔵 

小塚原での刑死者の菩提を弔うため寛保元年(一七四一)に建立されたこの地蔵は、二十七個の花崗岩を組み合わせた全体の高さが四メートルに近い坐像で、台座には発願者・石工が刻まれている。奥州街道沿いにあったので、江戸に出入りする多くの人が目にしたという。明治二十八年(一八九五)に土浦線(現常磐貨物線)敷設工事のため線路の南側から現在地に移されたが、人々に安らぎを与えてきた慈悲の姿は変わるところがない。
小塚原刑場跡(延命寺) 首切地蔵 小塚原刑場跡(延命寺) 首切地蔵 
小塚原刑場跡(延命寺) 小塚原刑場跡(延命寺) 

江戸のお仕置場(刑場)は、品川の鈴ヶ森と千住の小塚原の二つである。
小塚原の刑場は、間口六十間余(約百八メートル)、奥行三十間余(約五十四メートル)で、明治のはじめに刑場が廃止されるまでに、磔・斬罪・獄門などの刑が執行された。
 首切地蔵は、この刑死者の菩提をとむらうため寛保元年(一七四一)に造立されたものである。
小塚原刑場跡(延命寺) 小塚原刑場跡(延命寺) 

小塚原刑場跡は延命寺となっており、南千住駅南口の向かい側にある。jJRなどの線路の向側には結構大きな跨線橋を渡る。


(3)西ヶ原の一里塚

日光街道 西ヶ原の一里塚 日光街道 西ヶ原の一里塚 

慶長九年(一六〇四)二月、江戸幕府は、江戸日本橋を起点として全国の主要街道に一里塚を築き、街道の道程を示す目安とすることを命じました。
西ケ原一里塚は、本郷追分の次の一里塚で、日本橋がら数えると日光御成道の二番目の一里塚にあたります。都内の日光御成道は現在の本郷通りが主要なルートにあたりますが、岩淵宿から船で川口宿に渡ると鳩ヶ谷・大門の各宿場を北上して幸手宿で日光街道に合流しました。
西ヶ原一里塚由緒書 西ヶ原一里塚由緒書 





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