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市役所通り 砂子交差点で左折、砂子通り(旧東海道)へ
川崎市は旧東海道の遺構保存に熱心で、六郷橋を渡って京急川崎駅から京急八丁畷駅に至るまで、さまざまな案内板を設置している。
砂子と書いて「いさご」と読む。 |
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砂子通り(旧東海道) 佐藤惣之助生誕の地碑
富士見通りの川崎市体育館前に佐藤惣之助の碑があった。 |
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砂子通り(旧東海道) 「旧橘樹郡役所跡記念碑」設立の記
明治十一年(一八七八)の郡区町村編制法により、神奈川町成仏寺に橘樹郡役所が設置され、橘樹郡内十町百十1村の行政を司った。明冶二十一年(一八八八)同町内に郡役所が新設され、その後郡制か施行されると、郡長のもと各地代表の郡会議員により、道路・治水・教育・産業などが議せられた。
明治三十四年(一九〇一)神奈川町の横浜市編入により、橘樹郡の中心は、産業開発著しい川崎町に移り、大正二年(一九一三)現在地の川崎町砂子に威風堂々とした郡役所が建てられ、川崎・保土ヶ谷二町と十七村の行政に当った。郡南部の臨海埋立地には京浜工業地帯が形成され、人口増加による都市化が進む一方、北部農村地帯も私鉄の沿線開発や近郊農業の発達などにより大きく変貌した。
大正十三年(一九二四)七月川崎に市制が施行され、大正一五年(一九二六)郡役所は廃止された。その後川崎・横浜の市域拡張により、昭和一三年(一九三八)には半世紀にわたり親しまれた「橘樹郡」の名も消えることになった。
郡役所の川崎移転から九十年。ここに有志相集い、川崎市制八十周年を記念して、往年の地に「旧橘樹郡役所跡記念碑」を建立し、万葉集にも歌われた橘樹の名を永久に留めることにした。 |
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砂子通り(旧東海道) 砂子二丁目交差点 |
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砂子通り(旧東海道) 界隈は飲食店街
砂子通りそのものよりも、そこに接続する小路がいわゆる飲み屋街である。 |
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砂子通り(旧東海道) 小土呂橋交差点で右折、新川通りへ |
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新川通りを北上 |
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新川通り 左折して川崎ラ チッタデッラへ
名称のない交差点であるが、川崎ラ チッタデッラのゲートがある。 |
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川崎ラ チッタデッラ
昔は普通の映画館が集まっていた場所だが、9年前の平成14年11月に再開発、ラチッタデッラとしてオープンした。
オープンした直後はゴミゴミした以前の雰囲気は無くなり、明るい映画街として好評だった。10年近い年月が過ぎた今は、建物もくすみ、シミができていて薄汚さが目立ち始めている。 |
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川崎ラ チッタデッラ |
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川崎ラ チッタデッラから左折、新川通りへ
新川通りを渡った所が駅前屈指の商店街である銀柳街のアーケードである。 |
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新川通り 川崎駅前南交差点で横断、JR川崎駅へ
高架は京急本線で、右に進むと京急川崎駅である。 |
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JR 川崎駅前 丸井、川崎日航ホテル
正面に川崎日航ホテル、左に丸井や川崎ルフロンがある。 |
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JR 川崎駅 東口 |
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JR 川崎駅 コンコースを北上
コンコースには先月(平成23年9月)に旧向ヶ丘遊園地跡にオープンした藤子・F・不二雄ミュージアムのドラえもんの旗が飾られている。 |
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JR 川崎駅
川崎ラゾーナに向かうため通りすぎる。 |
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JR 川崎駅西口 ミューザ川崎 |
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JR 川崎駅西口 川崎ラゾーナ
川崎ラゾーナは、かつての東芝工場跡地を再開発し、5年前(平成18年)9月にオープンしたショッピングモールである。
オープン直後は設備が未だ出来ていないなどの不備もあったが、川崎駅に直結しているなどの立地の良さもあり、賑わっている。 |
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JR 川崎駅 コンコースを戻る |
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JR 川崎駅 |