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大阪城公園 二の丸地区 内堀を遊覧する御座船 |
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大阪城公園 二の丸地区 内堀を北西に進む |
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大阪城公園 二の丸地区 内堀に架かる極楽橋 |
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大阪城公園 二の丸地区 内堀に架かる極楽橋
極楽橋
山里丸と二の丸とを結ぶ橋である。豊臣秀吉が天正11年(1583)に築造を開始した大坂城でもこの付近に架けられた橋を極楽橋と呼び、大坂夏の陣による落城後、徳川幕府が再築した時にも架け直された。江戸時代には幅約8メートル(4間)の木造で、慶応4年(=明治元年、1868)に起こった明治維新の大火によって焼け落ちたが、97年後となる昭和40年(1965)に再架橋された。現在の極楽橋は長さ約54メートル、幅約5.4メートルで、橋脚【きょうきゃく】・主桁【しゅげた】を鉄筋コンクリート造としつつも、上部は歴史的景観に配慮し伝統的な擬宝珠高欄【ぎぼしこうらん】としている。「極楽」とは仏教で説かれる安楽の世界をさすことから、戦国時代この地にあった浄土真宗本願寺派の本山、大坂(石山)本願寺以来の名称ではないかと考えられている。 |
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大阪城公園 二の丸地区 内堀に架かる極楽橋 |
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大阪城公園 二の丸地区 内堀に架かる極楽橋を渡る
中国人の観光客も結構いた。 |
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大阪城公園 二の丸地区 内堀に架かる極楽橋 観光船 御座船 乗船場
豊臣秀吉の御座船である鳳凰丸をモデルにしたもので、内堀を周回する。 料金は1,500円だが、65歳以上は1,000円となる。 |
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大阪城公園 二の丸地区 内堀に架かる極楽橋 観光船 御座船 乗船場 |
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大阪城公園 山里丸地区 山里門跡 |
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大阪城公園 山里丸地区
山里丸地区は大阪城天守閣の北に位置し、淀の方、豊臣秀頼母子の終焉の地として知られる。 |
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大阪城公園 山里丸地区
天守から一段下がったこのあたり一帯を山里丸と呼ぶ。豊臣時代には、山里の風情を保つ松林や、桜、藤などの木々が茂り、いくつもの茶室が建っていた。豊臣秀吉や、その家族が茶会や花見を楽しむくつろぎの場所であった。大坂夏の陣(1615年)で落城の際、淀殿、秀頼母子が自刃したのも山里丸と伝えられている。徳川時代寛永元年(1624年)の再築後は構造も建物もすっかり変わり、石垣を取り囲む櫓のほか大阪城を守衛した山里丸加番(城役人)の建物が立ち並んでいた。 |
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大阪城公園 山里丸地区 秀頼・淀殿ラ自刃の地
山里丸地区に入るとすぐ右手に刻印石広場があり、その先のスロープを登り天守閣に向かう光景が飛びこむ。その為、正面やや左のくすんだ案内、碑を見落とし、気が付かない人がほとんどである。 |
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大阪城公園 山里丸地区 秀頼・淀殿ら自刃の地
慶長20年(=元和元年、1615)の大坂夏の陣では、旧暦の5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている。
それにちなんで平成9年(1997)、現在の山里丸の一画に大阪市の手によりこの記念碑が建てられた。 |
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大阪城公園 山里丸地区 秀頼・淀殿ラ自刃の地
碑が建てられて20年とは思えないほど摩滅が進んでいる。 |
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大阪城公園 山里丸地区 秀頼・淀殿ラ自刃の地から天守閣への階段
Google mapによるとこの階段を上って天守閣に出られるはずだったが、老朽化しており入口は閉鎖されている。 |
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大阪城公園 山里丸地区 秀頼・淀殿ラ自刃の地から天守閣への階段 |