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埼京線 板橋駅〜旧中山道〜近藤勇墓所

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埼京線 板橋駅〜近藤勇墓所〜旧中山道〜堀割交差点〜巣鴨庚申塚〜本妙寺〜慈眼寺〜巣鴨とげ抜き地蔵〜真性寺菊まつり〜巣鴨駅〜旧白山通り〜八百屋お七の墓(円乗寺)〜白山駅

【撮影記録】
平成22年 11月 9日 快晴
10:45〜12:50 10,600歩(概算 7.4km)

江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第2部として板橋駅の近藤勇墓所から、本妙寺(明暦の大火供養塔、遠山金四郎景元墓所)、慈眼寺(司馬江漢墓所、芥川龍之介墓所)を経て、巣鴨とげ抜き地蔵、江戸六地蔵の真性寺の菊まつり。巣鴨駅に出る。白山通りを南下し、旧白山通りに入り、八百屋お七の墓(円乗寺)を見た後、白山駅に着く。

22℃とやや暑いが、湿度11%と歩き易かった。本妙寺に以前来た時は、王子から住宅街を歩いたので分かりにくかったが、事前に調べた結果、白山通りから分かりやすい道を見つけることが出来た。
板橋駅前 旧中山道 板橋宿 板橋駅前 旧中山道 板橋宿 

旧中山道は中山道を横断し、「旧中山道」として色々な遺構が整備されている。
板橋駅前 旧中山道 板橋宿 むすびのけやき 板橋駅前 旧中山道 板橋宿 むすびのけやき 

中山道第一番目の宿場町「板橋宿」は、平尾宿・仲宿・上宿に分かれていました。
2002年に開宿400年を記念して、平尾宿にある3本のけやきを、未来に向けて意欲的にまちづくりに取り組む人々の心の象徴として「むすびのけやき」と名付け、記念碑を建てました。
そして、今あらたに「板橋縁起みくじ」を創造し、わが町板橋に集うすべての人々の開運・厄除を祈願してこの祠を設置しました。皆様の願いが成就することをお祈りします。
板橋駅前 旧中山道 板橋宿 むすびのけやき 板橋駅前 旧中山道 板橋宿 むすびのけやき 
板橋駅前 旧中山道 板橋宿 板橋駅前 旧中山道 板橋宿 
板橋駅前 右折し、埼京線踏切を横断 板橋駅前 右折し、埼京線踏切を横断 
旧中山道 最初の信号で右折、滝野川桜通りへ 旧中山道 最初の信号で右折、滝野川桜通りへ 

交差点名はないが、踏切を渡ってすぐの信号で右折する。滝野川桜通りは、板橋駅東口を通り、明治通りに向かう。
滝野川桜通り 板橋駅東口前交差点 滝野川桜通り 板橋駅東口前交差点 

右に板橋駅東口があり、左に近藤勇墓所がある。墓所だけを目的とするなら板橋駅の東口から出たほうが良い。
近藤勇墓所 近藤勇墓所 

近藤勇は、慶應4年(1868年)4月25日、近くの板橋一里塚で処刑された。
近藤勇墓所 近藤勇と新選組隊士供養塔 近藤勇墓所 近藤勇と新選組隊士供養塔 
近藤勇墓所 近藤勇と新選組隊士供養塔 近藤勇墓所 近藤勇と新選組隊士供養塔 

慶應4年(1868年)4月25日、近くの板橋一里塚で処刑された新撰組局長近藤勇と、副長の土方歳三の供養碑である。明治9年(1878年)に隊士の一人永倉新八が発起人となって建立された。

供養塔の裏面には近藤勇と土方歳三の名が刻まれているが、側面は摩耗が激しくほとんど読めない。

左には新選組永倉新八墓がある。
近藤勇墓所 近藤勇と新選組隊士供養塔 近藤勇墓所 近藤勇と新選組隊士供養塔 

 慶応四年(一八六八)四月二十五日、新選組局長であった近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で官軍により斬首処刑されました。その後、首級は京都に送られ胴体は刑場より少し離れたこの場所に埋葬されました。
 本供養塔は没後の明治九年(一八七六)五月に隊士の一人であり近藤に私淑していた永倉(本名長倉)新八が発起人となり旧幕府御典医であった松本順の協力を得て造立されました。高さ三.六メートル程ある独特の細長い角柱状で、四面の全てにわたり銘文が見られます。正面には、「近藤勇 ¥ケ 土方歳三義豊 之墓」と刻まれており、副長の土方歳三の名も近藤勇の右に併記されています。なお、近藤勇の諱である昌宜が¥ケとされていることについては明らかになっておりません。右側面と左側面には、それぞれ八段にわたり井上源三郎を筆頭に合計百十名の隊士などの名前が刻まれています。裏面には、当初は「近藤 明治元年辰四月廿五日 土方明治二年巳五月十一日 発起人 旧新選組長倉新八改瘻コ義衛 石工 牛込馬場下横町平田四郎右衛門」と刻まれていましたが、一部は現在判りにくくなっています。
 戦術方針の相違から一度は近藤と袂を分かった永倉ですが、晩年は戦友を弔う日々を送ったと伝えられています。本供養塔には、近藤勇のほか数多くの新選組ゆかりの者たちが祀られているので、新選組研究を行う際の基本資料とされ、学術性も高く貴重な文化財です。



 
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