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滝野川桜通り 突き当りを右折、旧中山道へ
近藤勇墓所から滝野川桜通りを北上、突き当りの信号で右折する。左折すると埼京線の踏切である。 |
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旧中山道を東進
旧中山道といっても、特別なものはない。旧板橋宿の遺構は、反対の西側の都営三田線の新板橋駅界隈にある。 |
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旧中山道 亀の子束子(たわし) 西尾商店
西尾商店は、亀の子束子(たわし)を発明した会社で、昔風の入口の奥に商品展示場と販売コーナーがある。 |
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旧中山道 亀の子束子(たわし) 西尾商店 |
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旧中山道 堀割交差点で明治通りを渡り、庚申塚通り(旧中山道)へ |
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庚申塚通り(旧中山道)を東進
東のはずれに庚申塚があるので名付けられたが、旧中山道の遺構はない。 |
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庚申塚通り(旧中山道)を東進 |
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庚申塚通り(旧中山道) 都電荒川線 庚申塚駅
右手に三ノ輪駅行き、左手に早稲田行きのホームがある。 |
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庚申塚通り(旧中山道) 庚申塚交差点で左折、折戸通りへ
直進すると巣鴨地蔵通りであるが、本妙寺、慈眼寺に寄るため左折する。 |
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巣鴨 庚申塚 |
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巣鴨 庚申塚 |
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巣鴨 庚申塚
庚申信仰は、中国の道教の三尸(さんし)説による。庚申の日の夜に三尸と言う虫が体から抜け出し、点綴に罪状報告をする、と言われている。そのため、この晩は寝ずに過ごし、寿命の縮むのを防いだ。 |
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巣鴨 庚申塚 |
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巣鴨 庚申塚
巣鴨の中山道沿いにある庚申塚は、江戸時代から近郷近在に聞こえた名所でした。江戸と板橋宿との間にあり行き交う旅人たちで賑わっていたと伝えられ、その様子は「江戸名所図会」にも描かれています。現在では、特に庚申の日ともなると、近くの「とげぬき地蔵(高岩寺)」などの縁日(毎月四の日)と同様に多くの参拝者があります。庚申塚では町内会の季節ごとに趣向をこらした食事を作ってもてなしています。
「江戸名所図会」のなかの茶店の屋根の葭簀(よしず)の上に見える石塔は、庚申塚のいわれを裏付けるものです。
現在、この石塔は当地の小さな社に鎮座し、その銘文によれば一六五七(明暦三)年に造立されたものということがわかります。これより以前一五〇二(文亀ニ)年に造立されたといわれる石碑がありましたが今はなく、「遊暦雑記」では、この塚の下に埋められていると伝えています。
また、この庚申塚には、お猿さんが祀られているというようにいわれていますが、これは、この巣鴨近辺の有有志が、明治初期千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したという歴史的事実によるものです。 |