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万歩計



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江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2209
第3部 日比谷〜永代橋〜洲崎十万坪H220929

【関連サイト】   シャトルバス 丸の内シャトル(H21−05−20)
東京メトロ 東西線H2007(門前仲町〜茅場町〜大手町)
    東急 目黒線H2010(海福寺〜五百羅漢寺〜目黒不動尊)
    東京メトロ 東西線H2007(東陽町〜木場〜門前仲町)
    有名仏閣 深川不動尊
    有名神社 富岡八幡宮
安藤広重 江戸百景 第4回 深川州崎十万坪H161103(東陽町〜州崎神社〜越中島) 
洲崎十万坪〜亀戸天神〜押上H190321(門前仲町駅〜洲崎十万坪〜東陽町駅)



日比谷〜大手町〜茅場町

 江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第3部として永代橋崩落、大高潮災害の洲崎十万坪をテーマとし、日比谷交差点から大手町に出て、永代通りを歩いた。

 日比谷交差点から日比谷通りを北上、第一生命、帝国劇場、東京會舘と過ぎて、馬場先門交差点を渡ると重要文化財の明治生命館がある。さらに日比谷通りを馬場先濠沿いに北上、和田倉門交差点を渡ると東京海上日動ビル本館がある。和田倉門交差点から見た行幸通りは、工事も終え、きれいに整備されて歩きやすいプロムナードになっている。和田倉橋前の東京銀行協会ビルの先の大手町交差点で右折、永代通りへ入る。
 永代通りを東進、大手町駅前交差点には改装前の旧野村ビルの名残の時計台が付く大手町野村ビルがあり、丸の内一丁目交差点でJRガード下をくぐり抜けてサビアタワー前を歩き、呉服橋交差点で外堀通りを渡る。東北の角にCOREDO日本橋がある日本橋交差点で中央通り、江戸橋一丁目交差点で昭和通りを渡る。茅場町交差点界隈には兜町証券会社街があり、茅場町一丁目交差点で新大橋通りを渡る。

永代橋〜門前仲町〜東陽町

 永代通りを東進、亀島川に架かる霊岸橋を渡り、新川一丁目交差点を過ぎると河村瑞賢屋敷跡、永代橋西交差点には船員教育発祥之地碑がある。隅田川に架かる永代橋から月島リバーシティ21(下流側)、東京スカイツリー(上流側)が見える。
 永代橋は、文化4年(1807年)8月に、深川八幡の祭礼の人出で橋が崩落、440名が溺死した。深川にあった海福寺に供養塔が作られたが、明治43年(1910年)に目黒に移転、供養塔も移った。永代二丁目交差点を過ぎ、門前仲町交差点で清澄通りを渡る。
 永代通りを歩き、深川不動尊、富岡八幡宮と過ぎて、平久川に架かる汐見橋を渡り、首都高9号深川線の高架下を進んですぐの木場五丁目交差点で右折、三ツ目通りへ入る。平木橋を渡ってすぐ左折、正面に赤い鳥居の洲崎神社が見え、境内に津波警告の碑、波除碑がある。
 寛政3年(1791)9月3日に大雨が降り始め、翌日、深川洲崎一帯に襲来した高潮で多数の死者、行方不明者が出た。幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西の5,467余坪を買上げて空地とし、さらに同6年(1794)12月、空地東西の北端に波除碑2基を建て、見通しの標とした。波除碑は当時は高さ6尺、角1尺であったが、材質が砂岩で脆く、関東大震災と戦災で破損が著しい。洲崎川緑道公園を歩き、東陽町駅前交差点で四ツ目通りを渡り、東京メトロ東西線の東陽町駅に着く。







 
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