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目黒不動尊(瀧泉寺)(青木昆陽(甘藷先生)墓所〜大本堂〜仁王門)

【関連サイト】   東急 目黒線H2010(海福寺〜五百羅漢寺〜目黒不動尊)


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目黒不動尊(瀧泉寺)と不動公園の間の道を東進 目黒不動尊(瀧泉寺)と不動公園の間の道を東進 
目黒不動尊(瀧泉寺)と不動公園の間の道を東進 目黒不動尊(瀧泉寺)と不動公園の間の道を東進 

目黒不動尊のフェンスの所々に甘藷先生墓所の案内が付けられている。
目黒不動尊(瀧泉寺) 墓地入口 目黒不動尊(瀧泉寺)と不動公園の間の道を東進 
目黒不動尊(瀧泉寺) 墓地 目黒不動尊(瀧泉寺) 墓地 

右の軽トラック前に青木昆陽(甘藷先生)の墓がある。
目黒不動尊(瀧泉寺) 青木昆陽(甘藷先生)墓 目黒不動尊(瀧泉寺) 青木昆陽(甘藷先生)墓 
目黒不動尊(瀧泉寺) 青木昆陽(甘藷先生)墓 目黒不動尊(瀧泉寺) 青木昆陽(甘藷先生)墓 
目黒不動尊(瀧泉寺) 青木昆陽(甘藷先生)墓 目黒不動尊(瀧泉寺 青木昆陽(甘藷先生)墓) 

国指定史跡 青木昆陽墓

 江戸中期の儒者。通称は文蔵。元禄十一年(一六九八)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。
 彼は八代将軍徳川吉宗の命により蘭学を学び、長崎に遊学し、「和蘭文字略考」「和蘭貨幣考」「和蘭語訳」などを著述する。また『蕃薯考』を著し、救荒作物として甘藷の栽培を奨励したために″甘藷先生″と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。明和六年(一七六九)歿。行年七十二歳。
目黒不動尊(瀧泉寺) 青木昆陽(甘藷先生)墓 目黒不動尊(瀧泉寺) 青木昆陽(甘藷先生)墓 
目黒不動尊(瀧泉寺) 墓地 目黒不動尊(瀧泉寺) 墓地 

一昨日の初冠雪の雪を使って作られた雪だるまである。
目黒不動尊(瀧泉寺)と不動公園の間の道を戻る 目黒不動尊(瀧泉寺)と不動公園の間の道を戻る 
目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂の回廊を歩く 目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂の回廊を歩く 

東日本大震災の被害復旧工事のため、通路が閉鎖されているので、大本堂の回廊を歩く。
目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 護衛不動尊 目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 護衛不動尊 
目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 護衛不動尊 目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 護衛不動尊 
目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 鐘楼 目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 鐘楼 
目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 八大童子の山 目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 八大童子の山 
目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 八大童子の山 目黒不動尊(瀧泉寺) 大本堂前広場 八大童子の山 

大本堂の右脇にあり、鉄扉があって近寄ることはできない。

不動明王の眷属として恭敬礼拝する者を影の形に随うが如く守り衆生救済に活躍する童子たちである。
目黒不動尊(瀧泉寺) 男坂 目黒不動尊(瀧泉寺) 男坂 

男坂の前に次のような看板が立てられている。

東曰本大震災により、石垣崩壊、燈籠倒壊、男坂玉垣損壊など境内各所に損害が発生いたしました。
順次修復しておりますのでご協力をお願いいたします。
目黒不動尊(瀧泉寺) 仁王門 目黒不動尊(瀧泉寺) 仁王門 



 
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