|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 出口 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 正面に向う |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 シニョリーア広場 ダビデ像(レプリカ)
西洋史の教科書でルネッサンスの代表作として必ず出てくるミケランジェロの像で、郊外のミケランジェロの丘にも飾られている。
後方の建物はヴェッキオ宮殿である。 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 シニョリーア広場 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 シニョリーア広場 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 シニョリーア広場 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 シニョリーア広場 メドゥーサの首を持つペルセウス |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 シニョリーア広場
入場待ちの長い列が出来ていた。ウフィツィ美術館は入場券の事前購入が推奨されており、当日売りは大混雑である。
ベネティアのサン・マルコ寺院に続き、ここでも当日券購入の中国人団体が事前購入の列に割り込み、注意されても知らんふりでトラブルとなっていた。 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 シニョリーア広場 |
|
フィレンツェ ヴェッキオ宮殿 シニョリーア広場 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 入口
ウフィツィ美術館は、もともとコシモ1世の時代にフィレンツェの官庁を一つにまとめるために建てられたもので、16世紀後半にメディチ家のフランチェスコ1世の頃から美術品を収容するようになった。
その美術品の質、量ともにイタリア最大の美術館である。 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 入口
ウフィツィ美術館には、ポッティチェッリのヴィーナスの誕生、春を始め、何人もの画家による受胎告知や東方三博士の礼拝など、美術の教科書でお馴染みの絵画が間近に見られる。
天正少年使節団もこの美術館を訪れているとのことである。 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 アンナ・マリーア・ルイーザ肖像
上がイタリア語、下が英語で肖像の由来が説明されている。長文なので、ポイントを以下に記した。 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 アンナ・マリーア・ルイーザ肖像
フィレンツェのメディチ家は、1737年に断絶し、コシモ3世の娘で唯一の相続人だったアンナ・マリーア・ルイーザ(1667−1743)が「コレクションがフィレンツェに留まり、一般公開される」ことを条件にトスカーナ政府に寄贈した。
彼女の肖像をアントニオ・フランチがその功績を讃えて描き、入口に掲げている。 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館から見えるベッキオ橋
ウフィツィ美術館は当然のことながら撮影禁止であるが、唯一ベッキオ橋だけは許可されている。
ベッキオ橋の2階はコシモ1世が住まいのビッティ宮殿から毎日通う官庁(現 ウフィツィ美術館)への通路として設けられた。 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館から見えるベッキオ橋 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館から見えるベッキオ橋 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館から見えるベッキオ橋 |
|
フィレンツェ ウフィツィ美術館 出口 カステラーニ広場 |