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一葉記念館〜飛不動尊

【関連サイト】   吉原遊廓の遺構巡り(三ノ輪〜吉原〜山谷堀公園)H281004(大関横丁交差点〜土手通り〜一葉記念館)
吉原遊廓の遺構巡り(三ノ輪〜吉原〜山谷堀公園)H281004(飛不動尊〜長國寺〜鷲神社)


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飛不動前交差点から北上、最初の信号 飛不動前交差点から北上、最初の信号 

最近一葉記念館に行くときは今回のコースではなく、土手通りから来ることが多いので飛不動尊の位置を間違えた。北上するとすぐ左に飛不動尊があり、その先の右手にある床屋で右折すると勘違いした。しかし、いくら北上しても飛不動尊が見つからない。コンビニが新しくできたのか、と不審に思いつつ、信号に会うことはなかったはず、と北上する。
飛不動前交差点から北上、2番目の信号で右折 飛不動前交差点から北上、2番目の信号で右折 

北上を続けても飛不動尊は見つからず、2番目の信号で右折する。
2番目の信号で右折、最初の交差点の薬局角で右折して最初の交差点で左折 2番目の信号で右折、最初の交差点の薬局角で右折して最初の交差点で左折 

2番目の信号で右折し、少し進んだ所にある薬局で道を尋ねた薬局角の道を南下し、最初の交差点の白い電柱で左折して直進した。。
一葉記念公園と一葉記念館の間の道を南下 一葉記念公園と一葉記念館の間の道を南下 

左に一葉記念館、右に一葉記念公園の間の道に出る。
一葉記念公園 一葉記念公園 
xd11206 一葉記念公園 一葉女史たけくらべ記念碑 
一葉記念公園 一葉女史たけくらべ記念碑 一葉記念公園 一葉女史たけくらべ記念碑 

近代文学不朽の名作「たけくらべ」は樋ロー葉在住当時の竜泉寺町を中心に吉原界隈が舞台となった。これを記念して昭和二十六年十一月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管された。
碑文は女史の旧友歌人佐佐木信綱博士作並びに書による次の歌二首が刻まれている。

 紫の古りし光にたくへつべし
 君こゝに住みてそめし 筆のあや
一葉女史たけくらべ記念碑
 そのかみの 美登利信如らも この園に
 来あそぶらむか 月しろき夜も
             佐佐木 信綱
一葉記念公園 一葉女史たけくらべ記念碑 一葉記念公園 一葉女史たけくらべ記念碑 
一葉記念公園 一葉記念公園 
一葉記念館 一葉記念館 

5000円札発行ブームの14年前(平成16年)に訪れた時は普通の民家風の建物であったその後改築され、立派なビルになっている。
一葉記念公園 菊池寛による追悼の碑 一葉記念公園 菊池寛による追悼の碑 

この地は樋口一葉の旧居跡で、菊池寛が昭和11年に碑を建てたが昭和20年3月の空襲で溶けてしまった。そのため、昭和24年に建てたが、菊池寛は既に亡く、小島政二郎が尽力した旨が書かれている。
 一葉記念公園 一葉と樹 一葉記念公園 一葉と樹 

桜や梅、萩、柳、葦、躑躅と一葉とのつながりが書かれている、
一葉記念館 一葉記念館 

一葉記念館は南北方向に建てられている。
一葉記念館前を西進、床屋前で左折 一葉記念館前を西進、床屋前で左折 

何度も通った道を歩き、飛不動尊に向かう。
南下して飛不動前交差点を越える 南下して飛不動前交差点を越える 
南下して飛不動尊に向かう 南下して飛不動尊に向かう 

右手に飛不動尊の赤い幟を発見、一葉記念館に向かう道を間違えたことに気ずく。さらにその奥には長國寺裏の一の酉の屋台が見える。

飛不動前交差点で左折して北上した際、飛不動尊が北にあると思いこんでおり、その時左手にあると勘違いして右側を見ていなかった。一葉記念館に向かう目標の床屋は交差点のすぐ先の右手にあり、ちゃんと見ていたらすぐ気がつくはずだった。
飛不動尊 飛不動尊 
飛不動尊 飛不動尊 

 正寶院は、享禄三年(一五三〇)の創建といわれる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺末から現在天台宗系の単立寺院となっている。
 当寺の本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。名の由来は、昔、当時の住職が大和国(奈良県)大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛び帰り、人々にご利益を授けたことによると伝えられている。
「飛不動」は本尊の通称だけでなく正寶院の通称ともなり、江江戸時代前期、寛文年間(一六六一〜七三)の「新板江戸大絵図」には、すでに「飛不動」の名で見える。福利増長・息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く、「日本国華万葉記」や「江戸砂子」などに江戸の代表的な不動霊場の一つとして記されている。近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。
飛不動尊 飛不動尊 
飛不動尊 由緒 飛不動尊 由緒 

由緒

 当寺は龍光山三高寺正寳院と称し享禄三年(一五三〇)正山律師により聖護院派の祈願道場として開基された。その後滋賀県園城寺の末寺となったが、現在は修験の流れをくむ天台宗の一派をなしている寺である。本尊は不動明王で、古くより江戸名尊不動の一に数えられ、特に飛不動と呼ばれている。
 この名はむかし故あって当寺の住職が奈良県大峰山に本尊を安置し修行をしていたところ、一夜にして本尊がこの地に飛び帰り御利益を授けられたことより発している。
 当寺は寛政の大火を始めとして、数回諸堂を焼失しており寺伝を詳しく知るすべはないが、江戸古図や江戸砂子等に飛不動の名が見られ、千七百年代にはすでに飛不動と呼ばれていたようである。御本尊は数回の災禍の為、一部損傷しており、現在は秘仏として鉄筋入母屋造りの本堂に安置されている。この本堂は昭和四十六年に建立されたもので、中央に御本尊、右に鎌倉末期の阿弥陀如来、左に恵比寿大黒天がまつられている。又、本堂前の石仏は正徳三年作の如意輪観音である。
飛不動尊 本堂 飛不動尊 本堂 
 飛不動尊 下谷 恵比寿神 飛不動尊 下谷 恵比寿神 

きく恵比寿(飛不動尊正宝院)
敬愛富財の神

 恵比寿様はもともと漁の神様でした。
豊漁は航海安全によってもたらされ、安全航行は商売繁昌につながり、繁昌すれば笑顔になり、エビス顔の喜結良縁・敬愛富財の神様として知られるようになりました。ご縁日は10月10日です。10月は神無月、神様達が縁結びの相談のため出雲に出かけます。その留守を預かるのが恵比寿様です。10月10日はすべての願い事をキク「菊恵比寿の日」です。「願い事がよくキクように」菊を供えてお参りする日です。
飛不動尊 本堂 飛不動尊 本堂 



 
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