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長國寺・鷲神社 裏道を南下
裏道は吉原へ抜けるか、千束を経て浅草寺に向かうコースであるが、国際通りが大混雑した場合のバイパスとなる。 |
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長國寺・鷲神社 裏道を南下 |
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長國寺・鷲神社 裏道を南下
鷲神社で買うことが出来なかった切山椒を発見、土産として購入した。 |
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長國寺・鷲神社 裏道の突き当りで左折
右折すると国際通りに出るが、左折して吉原仲之町通りに向かう。 |
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横道に入り花園公園へ |
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横道に入り花園公園へ |
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区立台東病院そばの花園公園 |
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区立台東病院そばの花園公園 熱中症計は警戒
現在時刻は13:10で、温度32.5℃、湿度は26%、熱中症計は警戒である。
天気予報は20℃前後だったので、天気が良いが30℃を超すとは思わなかった。 |
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区立台東病院そばの花園公園 |
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せんわ通り 吉原弁財天本宮
花園公園を出て右折、せんわ通りの斜めすぐに吉原弁財天本宮があるが、その入口を屋台が塞ぐ形になっている。 |
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せんわ通り 吉原弁財天本宮
吉原弁財天の御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、吉原神社にお祀りされていると共に、現在でも本宮が大切にお祀りされていて信仰が続いています。
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せんわ通り 吉原弁財天本宮
江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦三年(一六五七)の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊廓が移された。以来、昭和三三年までの三〇〇年間に及ぶ遊廓街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。
遊廓造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊廓楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として、毎年正月に多くの参拝者が訪れている。
池は、花園池・弁大池の名で呼ばれたが、大正一二年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、四九〇人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠付近の築山に建つ大きな観音像は、溺死した人々の供養のため大正一五年に造立されたものである。昭和三四年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。 |
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せんわ通り 吉原弁財天本宮 |
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せんわ通り 吉原弁財天本宮 大観音像
大観音像の周りには関東大震災八十周年碑などの慰霊碑が立てられている。 |
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せんわ通り 吉原弁財天本宮 |
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せんわ通り 吉原弁財天本宮 |
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せんわ通り 吉原弁財天本宮 大観音像 |