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土手通りを北上 天ぷら屋 「土手の伊勢屋」
天ぷら屋の老舗として有名な「土手の伊勢屋」であるが、店の正面だけでなく、裏にまで長い列が出来ている。 |
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土手通りを北上 天ぷら屋 「土手の伊勢屋」
明治22年、若林家により天麩羅屋土手の伊勢屋を創業した。その後、関東大震災により全壊した。被災後の昭和2年、店舗を建替えた。昭和19年から始まった、東京大空襲による被害には遭わなかった。
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土手通り あしたのジョー 矢吹丈像で右折、いろは会商店街へ
あしたのジョーは昭和43年から48年まで少年マガジンに連載されたボクシング漫画で、当時の学生運動の高まりという時代を背景として大人気となった。主人公の矢吹丈(ジョー)が泪橋近くの丹下段平の指導を受けプロとなって、ライバル力石徹との一戦が評判となった。無理な減量のため勝者の力石が急死し、音羽の講談社講堂で葬儀が行われた。
平成11年の映画化で泪橋や山谷に近いいろは会商店街がプロモーションに参加し、地域おこしに努めている。像は想定の1.3倍の190cmとのことで、少年ぽさを残した原作と違い大人の雰囲気である。 |
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いろは会商店街 土手通り側入口
いろは会商店街のアーケードは昭和51年に建設されたが、40年以上経って閉店の商店が増え老朽化が進み、昨年(平成29年)5月から撤去作業が始められて29年度中に終了していた。
アーケード入口には目立つゲートがあったが撤去されているため場所が分かりにくい。ほぼ1年前に歩いた時はゲートは土手通り側にはないが、吉野通り側には残っていた。 |
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いろは会商店街を東進
ちょうど1年前にはアーケードのむき出しの鉄骨が残っていたが、きれいに撤去されており、こんなに広いアーケードだったのか、と驚かされる。
去年はいろは会商店街の所々に矢吹丈(ジョー)、丹下段平などの立て看板が置かれていたが、撤去されて入口に力石徹だけが置かれていた。 |
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いろは会商店街を東進
なんの特徴もない幅広いシャッター街を歩くのは侘しいものである。 |
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いろは会商店街を東進 |
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いろは会商店街を東進 |
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浅草警察署 日本堤交番角で右折、吉野通りを南下
昨年は土手通り側は撤去されていた目立つゲートが吉野通り側には残っていたが撤去されていた。ゲートのあった所では数人の労務者が座って4リットル入り焼酎ボトルなどを飲み交わしていた。身なりはきれいだったが、やはり山谷だ、と思わされた。
土手通り側入口、吉野通り側入口とも幹線道路から奥まった所に入口があり、それが寂れさせた一因の気もする。 |
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浅草警察署 日本堤交番角で右折、吉野通りを南下
日本堤交番(にほんづつみ)は警視庁浅草警察署管内の交番。2008年(平成20年)10月までは所在地周辺の旧町名から命名された「山谷地区交番」の名称であった。改名に合わせ編成上署内課と同格の「地区交番」から地域課掌握下の通常の交番に縮小されている。旧山谷地区交番の時代から地元では「マンモス交番」の愛称で知られていた。
現在ある1994年(平成6年)完成の地上4階建て建物内駐車場付の威容は「交番」というよりは小型の警察署といえる水準である。 |
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浅草警察署 日本堤交番角で右折、吉野通りを南下
吉野通りに東側(左側)には紀伊国屋、よねや等の旅館が並ぶ。玄関には料金2,500円と書かれたビラが貼られている。いわゆる山谷のドヤ街だが、外からは小奇麗なホテルに見える。
当初予定ではポプラ清川店の角で左折して山谷の玉姫稲荷神社に寄って吉野通りを北上、小塚原回向院や浄閑寺を訪れるつもりだった。しかし、まだ14時過ぎなのにいたる所で路上飲酒が行われており、そばを歩くと胡散臭そうな目つきで眺められ、とても散策する気にはなれなかった。 |
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吉野通り アサヒ会通りと交差する東浅草二丁目交差点 |
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吉野通り アサヒ会通りと交差する東浅草二丁目交差点 |
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吉野通り 東浅草二丁目交差点 都バス 清川二丁目バス停
山谷、南千住経由三ノ輪までのコースは断念した。 |