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いろは会商店街(あしたのジョー)〜日本堤交番〜三ノ輪駅

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土手通り あしたのジョー 矢吹丈像で左折、いろは会商店街へ 土手通り あしたのジョー 矢吹丈像で左折、いろは会商店街へ 

日本堤一丁目交差点の次の吉原大門交差点の中間にいろは会商店街がある。交差点もなく、土手通りの西側からは特徴あるアーケードのゲート(今は撤去されて無い)が見え、そこがいろは会商店街の入口だった。東側から歩くと入口が分かりにくく、矢吹丈像を見つけて初めて分かった。
土手通り あしたのジョー 矢吹丈像で左折、いろは会商店街へ 土手通り あしたのジョー 矢吹丈像で左折、いろは会商店街へ 

あしたのジョーは昭和43年から48年まで少年マガジンに連載されたボクシング漫画で、当時の学生運動の高まりという時代を背景として大人気となった。主人公の矢吹丈(ジョー)が泪橋近くの丹下段平の指導を受けプロとなって、ライバル力石徹との一戦が評判となった。無理な減量のため勝者の力石が急死し、音羽の講談社講堂で葬儀が行われた。

平成11年の映画化で泪橋や山谷に近いいろは会商店街がプロモーションに参加し、地域おこしに努めている。像は想定の1.3倍の190cmとのことで、少年ぽさを残した原作と違い大人の雰囲気である。
いろは会商店街 土手通り側入口 いろは会商店街 土手通り側入口 

いろは会商店街のアーケードは昭和51年に建設されたが、40年以上経って閉店の商店が増え老朽化が進み、今年(平成29年)5月から撤去作業が始められて29年度中に終了の予定である。

アーケード入口には目立つゲートがあったが撤去されているため場所が分かりにくい。ゲートは土手通り側にはないが、吉野通り側には残っていた。
いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 

いろは会商店街の所々に矢吹丈(ジョー)、丹下段平などの立て看板が置かれている。
いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 

ここに特徴あるゲートがあり、存在感があった。アーケードが撤去され、剥き出しの鉄骨が寂寥感を誘う。
いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 
いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 

剥き出しの鉄骨もさることながら、かなりの商店が閉店のシャッター商店街となっている。
いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 
いろは会商店街 アーケードの合間に見える東京スカイツリー いろは会商店街 アーケードの合間に見える東京スカイツリー 
いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 
いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 

シャッター商店街化が進んでおり、規模は小さく普通の商店街化しているアサヒ会商店街や日の出会商店街との違いが目立つ。
いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 いろは会商店街 撤去が進むアーケード街を東進 
いろは会商店街 吉野通り側入口 いろは会商店街 吉野通り側入口 

土手通り側は撤去されていた目立つゲートが吉野通り側には残っていた。ゲートの左側には数人の労務者が座って4リットル入り焼酎ボトルなどを飲み交わしていた。身なりはきれいだったが、やはり山谷だ、と思わされた。

土手通り側入口、吉野通り側入口とも幹線道路から奥まった所に入口があり、それが寂れさせる一因の気もする。
浅草警察署 日本堤交番角で左折、吉野通りを北上 浅草警察署 日本堤交番角で左折、吉野通りを北上 

日本堤交番(にほんづつみ)は警視庁浅草警察署管内の交番。2008年(平成20年)10月までは所在地周辺の旧町名から命名された「山谷地区交番」の名称であった。改名に合わせ編成上署内課と同格の「地区交番」から地域課掌握下の通常の交番に縮小されている。旧山谷地区交番の時代から地元では「マンモス交番」の愛称で知られていた。

現在ある1994年(平成6年)完成の地上4階建て建物内駐車場付の威容は「交番」というよりは小型の警察署といえる水準である。
吉野通り 泪橋交差点で左折、明治通りを西進 吉野通り 泪橋交差点で左折、明治通りを西進 
明治通りを西進 明治通りを西進 
明治通りを西進 南千住二丁目交差点 明治通りを西進 南千住二丁目交差点 
明治通りを西進 三ノ輪二交差点で右折 明治通りを西進 三ノ輪二交差点で右折 
明治通りを北上 ぐるーりめぐりん 三ノ輪駅バス停 明治通りを北上 ぐるーりめぐりん 三ノ輪駅バス停 
明治通り 大関横丁交差点手前 目黄不動尊(永久寺) 明治通り 大関横丁交差点手前 目黄不動尊(永久寺) 

 目黄不動は、江戸五色不動の一つとして知られている。江戸五色不動とは、目白、目赤、目黒、目青、目黄の各不動尊のことで、寛永年間(一六二四一四三)の中頃、徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定したと伝える。
 不動明王は、密教ではその中心仏とされる大日如来が、悪を断じ、衆生を教化するため、外には忿怒の形相、内には大慈悲心を有する民衆救済の具現者として現われたとされている。また、宇宙のすべての現象は、地、水、火、風、空の五つからなるとする宇宙観があり、これらを色彩で表現したものが五色といわれる。
 不動尊信仰は、密教がさかんになった平安時代初期の頃から広まり、不動尊を身体ないしは目の色で描きわけることは、平安時代(七八四−一一七九)すでに存在したという。
明治通り 大関横丁交差点手前 目黄不動尊(永久寺) 明治通り 大関横丁交差点手前 目黄不動尊(永久寺) 

いつもは門が閉まっており、中に入れたのは今までに数回である。

江戸五色不動尊は、徳川家光が天海大僧正の献策により天下泰平を祈願し、設けたもので、目黒、目白、目赤、目青、目黄である。成立年代、寺の特定などには異論がある。

目黒不動 - 瀧泉寺(目黒区下目黒) 東急目黒線 不動前駅
目白不動 - 金乗院(豊島区高田) 副都心線 雑司が谷駅
目赤不動 - 南谷寺(文京区本駒込) 南北線 本駒込駅
目青不動 - 教学院(世田谷区太子堂) 東急田園都市線 三軒茶屋駅
目黄不動 - 永久寺(台東区三ノ輪) 地下鉄日比谷線 三ノ輪駅
明治通り 大関横丁交差点 明治通り 大関横丁交差点 
日比谷線 三ノ輪駅 日比谷線 三ノ輪駅 



 
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