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サザエさん発案の地〜サザエさん通り〜福岡市博物館

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サザエさん通り 西新通り交差点 サザエさん発案の地 サザエさん通り 西新通り交差点 サザエさん発案の地 

西新通り交差点を左折するとすぐに「サザエさん発案の地』の小公園がある。

 サザエさんの作者、長谷川町子さんは大正9年(1920)佐賀県小城郡の東多久村(現在の多久市)で生まれました。
 炭鉱の技師をしていた父勇吉さんが独立してワイヤーロープの製造業を始めたのに伴い、一家は福岡市の中心部に近い四十川(現在の渡辺通三丁目)に転居しています。
 自叙伝風に描いたマンガ「サザエさん うちあけ話」の中に、5歳の町子さんが当時の博多駅(現在の出来町公園)近くで迷子になり、昔の県庁(現在のアクロス福岡)前の知人の家まで泣き泣き走ったエピソードが出てきます。
 春吉小学校に在学中は腕白で有名だったようです。昭和5年(1930)に、四十川から西新に引っ越し、県立の福岡女学校(現在の福岡中央高校)に進学しました。
 昭和8年(1933)子煩悩で一家の大黒柱だった父が亡くなりました。母の貞子さんは涙に暮れましたが、翌年には三人の娘の才能を伸ばすために上京します。
 ある日軽い気持ちで「田川水泡(当時、「のらくろ」で超売れっ子だったマンガ家)に弟子入りしたいな」と呟いたのを気の早い母に聞かれ、押しかけるように弟子入りを果たします。天才少女マンガ家というふれこみで雑誌に処女作が掲載された時、町子さんは、まだ女学生でした。
 卒業後5年間ほど、主に子供向けのマンガを描いていましたが、戦時下の東京では生活が難しくなり、昭和19年(1944)に再び福岡市西新の家に戻ることになりました。

(続く)
サザエさん通り 西新通り交差点 サザエさん発案の地 サザエさん通り 西新通り交差点 サザエさん発案の地 

(承前)

 当時、目の前の道路(よかトピア通り)から先は、百道の海岸で、町子さんは妹の洋子さんと散歩しながら、サザエさんの登場人物である「サザエ」「カツオ」「ワカメ」「フネ」などを発案しました。
 昭和21年(1946)4月22日、西日本新聞から独立したばかりの「夕刊フクニチ」で「サザエさん」の掲載が始まりました。
 福岡の百道の浜で名前を付けられたサザエさんとその家族は、こうして生き生きと動き始めました。
 しかし仕事の上でやはり東京にいる必要を感じた長谷川さん一家は、いったんこの連載を打ち切り昭和21年(1946)の暮れに再び一家で上京しました。
 その後、朝日新聞朝刊に「サザエさん」が掲載され全国で親しまれる存在となりました。日曜夕方の定番となったテレビアニメは、毎週3本のペースで昭和44年(1969)スタートから39年たつ現在も放映を続けています。視聴者にとってサザエさん一家は永遠に変わらないお隣さんなのではないでしょうか。
 平成4年(1992)、町子さんは72歳で世を去り、2ヶ月後に漫画家として初の国民栄誉賞が贈られました。東京都世田谷区桜新町の「長谷川町子美術館」の陳列スペースの一隅には、金芭の記念盾が置かれています。表面に「家庭漫画を通じて戦後の我が国社会に潤いと安らぎを与えた功」と刻まれています。
サザエさん通り 西新通り交差点 サザエさん発案の地 サザエさん通り 西新通り交差点 サザエさん発案の地 

サザエさん発案の地

 「サザエさん」の原作者、長谷川町子さんは、昭和19年〜昭和21年にかけて、福岡市(現在の西新3丁目)に住んでいました。
 右の漫画にあるように、百道の海岸を散歩しながら、サザエ、カツオ、ワカメ等の登場人物を考案し、昭和21年4月創刊の夕刊フクニチ新聞(〜平成4年休刊)に漫画「サザエさん」の連載が始まりました。当時は、このあたりが、海岸線でした。
サザエさん通り 西新通り交差点 サザエさん発案の地 サザエさん通り 西新通り交差点 サザエさん発案の地 

『サザエさん うちあけ話』

(上段右)
 昭和二十一年、西日本しんぶん社から夕刊フクニチが発行され、れんさいマンガをたのまれました。地方紙の気がるさから、あっさり引きうけ、主人公は おてんば娘と、すぐ決めましたが、家族こうせいに まよっていました。

(下段左)
妹は、じゅんちょうに、カイフクして ももちの海岸を さんぽするまでになりました。私は 毎日一しょに ついて歩き、そんなわけで登場人物が みんな 海産ぶつに、なったわけです。
サザエさん通り 福岡タワー サザエさん通り 福岡タワー 
サザエさん通り 福岡市博物館 「本日は休館日です」の案内 サザエさん通り 福岡市博物館 「本日は休館日です」の案内 

蒸し暑さに軽い熱中症症状になっており、やっと着いた、と思ったら、「本日は休館日です」の案内が立っていた。

予定ではここから福岡ヤフオクドーム、大濠公園、天神、中洲と歩いて博多駅前のホテルに戻る予定だったが、今年の酷暑でほとんど家に引きこもりだったこともあり、軽い熱中症状態だったのでバスで博多駅に戻ることにした。

大濠公園から博多までのコースは博多祇園山笠の櫛田神社も含めて10年前に歩いており、ホテルに戻ることへの未練はない。

ちなみに、3日後に大分から由布岳、日田天領跡を巡る予定だったが、悪天候のため予定を変更、博多に戻って福岡市博物館の志賀島金印(漢委奴国王)を見物することができた。
サザエさん通り 福岡市博物館 サザエさん通り 福岡市博物館 
サザエさん通り 福岡市博物館 サザエさん通り 福岡市博物館 

目的としていた志賀島金印(漢委奴国王)を見ることができず、サザエさん通りを博多駅行きのバスが頻繁に走っていることから、これ以上の歩きはやめてホテルに戻ることにした。
サザエさん通り 福岡市博物館、福岡タワー サザエさん通り 福岡市博物館、福岡タワー 



 
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