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赤間神宮〜春帆楼(日清講和記念館)〜壇ノ浦古戦場跡





地図上の歩行距離 1.3km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります)
Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離

経路 A:赤間神宮〜春帆楼(日清講和記念館)〜関門橋〜B:壇ノ浦古戦場跡(1.3km)

【関連サイト】  



赤間神宮(大安殿〜平家一門の墓〜安徳天皇 阿彌陀寺陵)

 国道9号沿いの赤間神宮前駐車場奥に平知盛に因む海峡守護『碇』が飾られている。赤間神宮の階段を上ると太鼓楼で、その右の水天門を抜けると広場で、その先の階段を上ると拝殿である。龍宮城のような水天門は大洋漁業副社長の、立派な太鼓楼は関門港湾建設社長の寄贈である。拝殿右奥の展望台から関門橋を見た後、拝殿左の祈願受付・神符授与所の裏にある耳なし芳一堂、耳なし芳一堂、平家一門之墓を訪れる。平知盛、教盛、教経、二位の尼などの平家一門之墓は摩耗が激しく、読むのが困難である。水天門を出て太鼓楼の奥にある安徳天皇 阿彌陀寺陵は門が閉められていて立ち入ることはできない。国道9号に戻り、下関駅側に隣接する春帆楼に向かう。

春帆楼本店〜日清講和記念館〜朝鮮通信使上陸淹留之地碑

 春帆楼は赤間神宮に隣接し、関門海峡を望む高台に位置する旅館兼料亭として伊藤博文の命名により創業を開始、ふぐ料理公許第一号店として、また明治28年に締結された日清講和条約(下関条約)の締結会場としても知られる。 春帆楼にはふくの碑が、日清講和記念館脇には伊藤博文像、陸奥宗光像がある。登録有形文化財の日清講和記念館は無料で、係員は不在だが、自由に参観できる。館内には講和会議場を再現した会議室や、関係者の使用したものなどが展示されている。春帆楼前公園の下関市との姉妹都市広場、関門海峡を航行する貨物船、「関門航路改修事業草創の地」記念碑を見た後、阿弥陀寺公園の奥の朝鮮通信使上陸淹留之地碑に至る。

関門橋〜壇ノ浦古戦場跡〜壇ノ浦砲台跡

 関門橋下、国道9号沿いにある関門プラザは、関門トンネル資料館で、関門トンネル (国道2号)の人道入口でもある。当初人道を歩いて門司港に行く予定だったが、蒸し暑さがひどくて熱中症になりかけていたのでバスと、電車で門司港に向かった。関門海峡の壇ノ浦にあるみもすそ川公園は壇ノ浦古戦場跡で、碇を持った平知盛と、八艘飛びの源義経の像や、 二位尼辞世が書かれた安徳帝御入水之処碑がある。その奥にある馬関戦争でフランスに奪われた青銅砲を忠実に再現した天保製長州砲、FRP製の5門の長州砲(八十斤加農砲)を見て、バスで下関駅に戻る。



 
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