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JR西 北陸新幹線 金沢駅 鼓門・もてなしドーム
金沢駅〜武蔵ヶ辻〜浅野川大橋〜金沢 ひがし茶屋街〜主計町茶屋街〜武蔵ヶ辻〜金沢駅
【撮影記録】
平成29年 2月 22日 曇り
12:55〜15:45 10,500歩(概算 7.4km 地図上の距離 5.0km)
地図の機能制約からひがし茶屋街などの細かいコース設定は出来ないので、歩数から算出した距離とに差が出る。
9年前(平成20年)の秋におわら風の盆や立山観光の一環で金沢を訪れたが、その時は何度も来ている武家屋敷、兼六園、金沢城観光の半日コースだった。今回は1日半なので、人気のひがし茶屋街に初めて訪れ、何時行ったか分からない昔に観光バスで行った忍者寺(妙立寺)を散策した。 |
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JR西 金沢駅(兼六園口) |
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JR西 金沢駅(兼六園口) 鼓門・ふれあいドーム、東口広場
もてなしドームは大きな傘を、鼓門は能楽の加賀宝生の鼓をイメージしている |
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JR西 金沢駅(兼六園口) 東口広場
東口広場からもてなしドームや鼓門を撮る人が多い。
金沢駅前中央交差点には左に金沢都ホテル、右にガーデンホテル金沢が聳え立つ。
左手は以前出張でよく泊まった都ホテル金沢であるが、値段の差もあるが、駅右手のANAクラウンプラザホテル金沢に比べ外装も古めかしく格下に見える。最後に泊ったのは、30年前の部下の女子社員の結婚式で、それ以降はANAクラウンプラザホテル金沢を利用している。 |
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JR西 金沢駅(兼六園口) 東口広場 熱中症計はほぼ安全
現在時刻は13:10で、温度16.5℃、湿度は低くて測定不能、熱中症計はほぼ安全である。
雲が多いが、天気は晴れである。暖かいとは思ったが、16.5°もあるとは思わなかった。 |
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JR西 金沢駅(兼六園口) 鼓門、東口広場 |
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金沢駅(兼六園口) 金沢駅前中央口交差点で昭和大通りを渡り、金沢駅通りへ
金沢駅前を南北に昭和大通り(県道146号)が走り、金沢駅前中央交差点から東に金沢駅通りが走って武蔵ヶ辻に向かう。 |
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金沢駅(兼六園口) 金沢駅前中央口交差点 界隈の案内図 |
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金沢駅通り
金沢駅通りの歩道沿いに水路が作られている。 |
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金沢駅通り リファーレ金沢
地酒の酒店の後ろにリファーレ金沢があり、3階にパスポートセンターがある。リファーレ金沢は店舗や事務所、マンションからなっている。 |
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金沢駅通り リファーレ金沢
リファーレ金沢の1階には九谷焼の黒龍堂がある。 |
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金沢駅通り リファーレ金沢 |
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金沢駅通り 西門口前交差点 東本願寺 金沢別院
交差点の左奥に東本願寺 金沢別院本堂の大伽藍が見える。
真宗大谷派金沢別院の前身は、尾山御坊(金沢御堂)である。天文十五(一五四六)年御坊が完成し、その位置は、後の金沢城本丸の地であった。天正十一年、前田利家が加賀に入部し、後町に移した。寛永八年の大火後、同十七年に現在地に伽藍が竣工した。 |
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金沢駅通り 金沢城 惣構跡 〜西外惣構〜
惣構とは?
「惣構」とは、堀や土居で城下町を囲い込んだ防御施設です。金沢城には二重の惣構がつくられ、内惣構は二代藩主前田利長が慶長4年(1599年)に高山右近に命じてつくらせたといわれ、外惣構は三代藩主利常が慶長15年(1610年)に篠原一孝に命じてつくらせました。
堀の内側には土居(土盛)が築かれ、土居には竹や木が植えられ防御力を一層高めていました。堀の幅は築造当時には10m以上あったことが判明していますが、藩政中期
頃から徐々に狭められ、現在は水路となっています。
西外惣構の長さは約2.8kmで、ここより100m南の宮腰往還から城下への出入口にあたる場所に、周囲を土居で囲み防御性を高めた升形がありました。 |
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金沢駅通り 金沢城 惣構跡 〜西外惣構〜 |
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金沢駅通り むさし西交差点 界隈案内図 |
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金沢駅通り むさし西交差点 界隈案内図 |
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金沢駅通り むさし西交差点 界隈案内図 |
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金沢駅通り 武蔵交差点 めいてつ エムザ店 |
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金沢駅通り 武蔵交差点(武蔵ヶ辻) |
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金沢駅通り 武蔵交差点(武蔵ヶ辻) |
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金沢駅通り 武蔵交差点(武蔵ヶ辻) 地下道で交差点を渡る
金沢駅通りを直進し、百万石通りに進むには地下道を渡るしかない。金沢駅通りの北側の入口から地下道に入る。 |
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金沢駅通り 武蔵交差点(武蔵ヶ辻) 地下道で交差点を渡る
百万石通りの近江町市場向かいに出る。 |
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百万石通りを東進 近江町市場 |
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百万石通りを東進 近江町交差点を渡り近江町市場へ |
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百万石通りを東進 近江町市場へ(市姫神社口) |
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百万石通りを東進 近江町市場へ(市姫神社口)
近江町市場は翌日に訪れる予定なので市姫神社口付近を見るだけにした。 |