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茶席やなぎ庵〜菅原神社〜浅野川大橋交番交差点

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ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 
ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 

この「旧諸江屋」は、もとは「吉文字や いそ」と「越中や 又吉」のそれぞれ独立した二棟の建物が、後年の改造にょり一体化されたものです。
その後、「蛍屋」として茶屋文化を伝承し、現在は「金沢しつらえ」として受け継いでおります。
東山界隈において、唯一残る弁柄塗りの建物です。
弁柄とは土から取れる成分(酸化鉄)で紅殻とも呼ばれ防虫防腐機能性から古くから家屋を守る塗料としても使用されてぃます。
その弁柄が塗られた外壁はヒバのささらこ下見板貼、外格子は木虫籠と呼ばれる技法を用いています。細い木を台形に細工した格子で、外から中は見えにくく中からは外がよく見える技法でもあります。
土蔵は昔ながらの漆喰塗りで土塗り戸・格子戸・障子戸が用いられ障子戸の紙張りは当時としではモダンなデザインです。
玄関土間は三和土を用いています。
三和土とは「敲き土」の略で、赤土・砂利などに消石灰とにがりを混ぜて練り塗って敲き固めた素材で、三種類の材料を混ぜ含わせることから「三和土」と書きす。「敲き土」とは花崗岩、安山岩などが風化してできた土をいいます。
二階部分の左官仕上の土壁は薄紅、真朱、黄丹、鴇、照柿、利休茶、花浅葱・・・。
何層にも塗り重ねられた土壁の仕上が艶やかさと華やぎをもってまるで十二単のような姿を現しています。前主の螢屋と合わせて「十六層の壁」の断面の跡が見られます。
玄関吹抜に掛けられた大胆な「強化ガラスのつリ橋」は、旧蛍屋の画期的なデザイン様式として残しております。
つり橋を渡るとその奥は「特別室・青竹土の間」です。
石動左官により仕上げられた京都の青竹土の水色の壁が爽やかな部屋となっています。本金箔のテーブルでお迎えします。
「漆の間」「匠の間」は伝統工芸の技でしつらえた巨匠のおお部屋です。さらに「東山茶房・柳庵」「しつらえの間」「お蔵」など、茶屋文化と融合した「金澤しつらえ」にて、こころゆくまておくつろぎください。
ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 
ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 

東山ひがし

 藩政時代、金沢城下への入口にあたる北国街道の浅野川・犀川両大橋界隈には、御茶屋が建ち並んでいた。文政3年(一八二〇)なり、正式に加賀藩の許しを得て、この「ひがし」の茶屋町が犀川外の「にし」と共に開かれ、以来城下随一のにぎわいを見せた。
 通りに面して一階を揃いの出格子、座敷を備える背の高い二階を吹放しの縁惻とする姿のお茶屋が並ぶ町並みは、藩政末期以来の茶屋町の特徴をよく残している。
 今も夕暮れ時には芸妓衆が行き交い、どこからともなく笛や三絃の音か聞こえる風情あふれる茶屋町である。
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 

金沢のひがし茶屋街としてよく出てくる場所である。換言すればこの場所以外は狭苦しい小道である。
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 懐華樓 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 懐華樓 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 懐華樓 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 懐華樓 

ここひがし茶屋街は文政三年(一八ニO年)加賀藩の政策により整備され、天保二年(一八三一年)に一度廃止されるが慶応三年(一八六七年)再び茶屋街として公認された。
創立当初の記録によると「志ま屋」となっているが明治三十九年(一九〇六年)「金沢廓の栞」に「越濱」の名があり昭和初期まで続いていたと思われる。その後さらに返遷を重ね現在に至っている。
この建物は江戸時代後期の茶屋街建築様式を伝えるもので間口六間、奥行十二間の規模はこの界隈で最も大きく、お茶室用入口や土蔵も備えており、格式も高く当時の栄華をしのぶうえでも歴史的価値の鬲い貴重な建造物てある。
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 懐華樓 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 懐華樓 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 加賀麩 不室屋 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 加賀麩 不室屋 

突き当りの加賀麩 不室屋で左折する。
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 地酒専門銘店 酒楽 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 地酒専門銘店 酒楽 

後でANAクラウンプラザホテル 金沢で味わうことになる銘酒が並んでいた。残念ながら全て四合瓶以上で何種類も買っていくには重いし、多くの銘酒を味わうこともできず断念した。
ホテルで味わった後、翌日帰る前に金沢駅でワンカップで買えた2種類を土産とした。
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 菅原神社 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 菅原神社 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 菅原神社 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 菅原神社 

 この神社は東茶屋街の鎮守社である。
加賀藩十二代藩主斉広の時、文政三年(一八二〇)金沢に犀川、浅野川の両地において、はじめて妓楼を置くことを公許された。犀川は石坂町、浅野川は卯辰茶屋町にはじめて家屋を建て、営業をはじめた。その時観音町西源寺の後に菅原道真を祀り、芸妓たちの鎮守の神として崇められた。その後現在の位置に移転する。
 太い木材を使った立派な梁が見られる社殿や、歴史を感じさせる小さな狛犬が二体、向かい合って建っている。
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 お茶屋美術館(旧 中屋) ひがし茶屋街 茶屋街を散策 お茶屋美術館(旧 中屋) 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 お茶屋美術館(旧 中屋) ひがし茶屋街 茶屋街を散策 お茶屋美術館(旧 中屋) 

旧 中屋

 この建物は、文政三年(一八二〇)に建てられた茶屋建築で、創立時は「中屋」と称した。
 外部の格子は目の細かい木虫籠で、腰には越前石が用いられ二階の雨戸、玄関の大戸を含む全てが弁柄仕上げとなっている。
 内部も往時の間取りを忠実に残し、優雅なお茶屋の造りとなっており、前二階及び広間の座敷は赤い弁柄、はなれは鮮やかな群青の壁である。また造作材に拭き漆仕上げで、お茶屋特有の「粋」を感じさせる大変重要なものである。
 この建物内に芸妓の黒髪を飾った櫛・笄・簪をはじめ加賀蒔絵、加賀象嵌、九谷焼などの優美で繊細な諸道具を展示している。
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 
ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 

ひがし茶屋街を一周し、茶席やなぎ庵に戻ってきたことになる。
ひがし茶屋街 茶屋街広場 茶席やなぎ庵 ひがし茶屋街 レストラン 自由軒 
ひがし茶屋街 名物きんつば 中田屋 ひがし茶屋街 名物きんつば 中田屋 
ひがし茶屋街 茶屋街を散策 ひがし茶屋街 茶屋街を散策 
ひがし茶屋街 浅野川大橋大橋交番前交差点で左折、城北大通りへ ひがし茶屋街 浅野川大橋大橋交番前交差点で左折、城北大通りへ 
城北大通り 浅野川大橋大橋交番前交差点 界隈案内図 城北大通り 浅野川大橋大橋交番前交差点 界隈案内図 

これから浅野川大橋を渡り右折、浅野川沿いの主計町茶屋街を歩くので道を確認する。



 
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