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神田明神〜不忍通り〜JR 御徒町駅

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有名神社 湯島天神

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サッカー通りを南下 傘谷坂 サッカー通りを南下 傘谷坂 

一週間後にある湯島天神の神幸祭がサッカー通りを北上するので「湯島天満宮御祭禮」の幟が飾られている。
サッカー通り サッカーミュージアム入口交差点で左折、蔵前橋通りへ サッカー通り サッカーミュージアム入口交差点で左折、蔵前橋通りへ 
蔵前橋通り 清水坂を下る 蔵前橋通り 清水坂を下る 
蔵前橋通り 清水坂を下る 湯島天神 例大祭案内 蔵前橋通り 清水坂を下る 湯島天神 例大祭案内 
蔵前橋通り 清水坂下交差点で右折 蔵前橋通り 清水坂下交差点で右折 
 湯島聖堂前交差点で左折、国道17号線へ 湯島聖堂前交差点で左折、国道17号線へ 

突き当りが湯島聖堂前交差点で、交差点を渡って左角に湯島聖堂がある。交差点の右側から本郷通り(国道17号線)が来て交差点で右折し聖橋に本郷通りとして進む。国道17号線は直進して神田明神に向かう。
 湯島聖堂前交差点で左折、国道17号線へ 湯島聖堂前交差点で左折、国道17号線へ 
国道17号線 神田明神 鳥居 国道17号線 神田明神 鳥居 
国道17号線 神田明神 鳥居 国道17号線 神田明神 鳥居 

神田明神は天平2年(730年)、現在の千代田区大手町将門塚周辺に創建。それから約200年後、平将門の首を奪い返して塚を築き、葬った。さらに、延慶2年(1309年)には将門公の霊をも相殿に祀り、神田明神と名付けた。元和2年(1616年)現在の場所に移り、江戸城の鬼門の守護神となり江戸総鎮守として現在に至る。
神田明神 表参道 随神門 神田明神 表参道 随神門 
神田明神 御社殿 神田明神 御社殿 

東京都心一〇八町会の総氏神様で、神田・日本様・秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場・魚市場の人々からもあつく崇敬されております。当社は、天平二年(七三〇)のご創建で、江戸東京の中で最も歴史ある神社のひとつです。はじめは現在の千代田区大手町・将門塚周辺に鎮座していましたが、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城が拡張された時、江戸城から表鬼門にあたる現在の地へ遷座いたしました。それ以降、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府から江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。
神田明神 祭務所、神楽殿 神田明神 祭務所、神楽殿 
神田明神 御社殿、鳳凰殿 神田明神 御社殿、鳳凰殿 

左の鳳凰殿は、神札授与所と参集所をあわせ持つ。
神田明神 御社殿 神田明神 御社殿 
神田明神 表参道 鳥居を出て左折、国道17号線へ 神田明神 表参道 鳥居を出て左折、国道17号線へ 
国道17号線 湯島坂を下る 国道17号線 湯島坂を下る 

『新撰東京名所図会』には「湯島坂は。聖堂の背後。神田神社の前より湯島一丁目に下る坂路をいふ。往昔(おうせき)より此名あり。」と記してある。
 また、『東京案内』には、「神田明神の前を東に下る坂は湯島坂なり。また本郷坂ともよぶ。」とある。
(ぶんきょうの坂道(東京都文京区教育委員会社会教育課編、発行、昭和55年7月1日第二刷)より)

別名: 明神坂、本郷坂
国道17号線 湯島坂を下る 国道17号線 湯島坂を下る 

湯島坂を下った所の三叉路を左に進む。右折すると外堀通りの外神田二丁目交差点に出る。
国道17号線 神田明神下交差点で左折、不忍通りへ 国道17号線 神田明神下交差点で左折、不忍通りへ 
不忍通り 神田明神下御臺所町 由来 不忍通り 神田明神下御臺所町 由来 

神田神社裏手に位置するこの地域は、江戸の町が生まれた当初、幸龍(こうりゅう)寺や万隆(ばんりゅう)寺などが軒を連ねる寺社地でした。町の様相が一変したきっかけとなったのは、明暦(めいれき)三年(1657)一月十八日に発生した「明暦(めいれき)の大火(たいか)」(振袖火事)です。
 「明暦の大火」は、およそ二日間にわたって江戸のまち全体の六割ほどを焼き尽くし、十万人余りの命を奪った大災害です。このとき、江戸城も天守閣(てんしゅかく)をはじめ、多くの建物を焼失しました。被害の甚大さに驚いた江戸幕府は、火に強い町づくりに乗り出しました。幕府の火災対策の一つとして「延焼を防ぐため、大きな寺社をなるべく市中の外側に移転させる」という方針があったのです。かつては寺が立ち並んでいた神田神社の裏手も、この新方針に沿って城内の御臺所御賄方(おだいどころおまかないかた)の武家屋敷として再建されたのでした。御臺所町(おだいどころまち)という旧地名は、このときに始まるものと考えられています。
 さらに寛文(かんぶん)十二年(1672)、この場所に住んでいた武士たちの希望もあって町内に「町屋(まちや)」(商人と職人の住まい)も形成されました。以降、御臺所町は町人の町として発展をとげることになりました。文政(ぶんせい)七年(1824)の『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』には、町内に足袋屋(たびや)や呉服屋(ごふくや)、小間物屋(こまものや)があったことが記されています。時代が下って明治二年(1869)には、神田明神下御賄手代屋敷(かんだみょうじんしたおまかないてだいやしき)を合併し、神田御臺所町(かんだおだいどころまち)と呼ばれるようになりました。
不忍通りを南下する千代田区コミュニティバス 風ぐるま(秋葉原ルート) 不忍通りを南下する千代田区コミュニティバス 風ぐるま(秋葉原ルート) 

風ぐるまは麹町ルート、富士見・神保町ルート、内神田ルート、秋葉原ルートの4ルートがあり、料金は100円である。
不忍通り 妻恋坂交差点で蔵前橋通りを渡る 不忍通り 妻恋坂交差点で蔵前橋通りを渡る 
不忍通り 妻恋坂交差点で蔵前橋通りを渡る 不忍通り 妻恋坂交差点で蔵前橋通りを渡る 

交差点を渡った左角には鳴門鯛焼本舗があり、たい焼きを買い求める人の長い列が出来ている。
不忍通り 三組坂下交差点 不忍通り 三組坂下交差点 

左折し、三組坂上交差点で右折すると湯島天神の表鳥居(銅鳥居)に出る。

 元和2年(1616)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者は江戸へと召し返され、当地に屋敷地を賜った。駿河から帰ったので、里俗にこのあたり一帯を駿河町と呼んだ。
 その後、元禄9年(1696)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改めた。
 この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられた。
 元禄以来、呼びなれた三組町は、昭和40年(1965)4月以降、今の湯島三丁目となった。
不忍通り 湯島中坂下交差点 不忍通り 湯島中坂下交差点 
不忍通り 「博多 モツ鍋店 八」前交差点で左折すると湯島天神男坂 不忍通り 「博多 モツ鍋店 八」前交差点で左折すると湯島天神男坂 

左折すると湯島天神の男坂に出る。信号はあるが交差点名の標識はなく、分かりにくいが、一つ先は春日通りと交差する天神下交差点で、手前には天神町交番がある。
不忍通り 「博多 モツ鍋店 八」前交差点で左折すると湯島天神男坂 不忍通り 「博多 モツ鍋店 八」前交差点で左折すると湯島天神男坂 

商店や住宅街の奥に湯島天神の男坂である石段がある。
不忍通り 天神下交差点で右折、春日通りへ 不忍通り 天神下交差点で右折、春日通りへ 
 春日通りを東進 春日通りを東進 
春日通りを東進 上野広小路交差点で中央通りを渡る 春日通りを東進 上野広小路交差点で中央通りを渡る 

交差点を渡った右角に松坂屋上野店がある。
春日通りを東進 アメ横 上中 春日通りを東進 アメ横 上中 

上中(うえちゅん)は上野中通り商店街の愛称である。
春日通り 御徒町駅 JR高架を通る 春日通り 御徒町駅 JR高架を通る 

JRの高架沿いにアメ横の店が並ぶ。
春日通り JR 御徒町駅 春日通り JR 御徒町駅 

腰痛を我慢しながら歩いてきたが、御徒町駅を過ぎると鳥越神社、隅田川テラスと帰宅の鉄道駅が無い場所が続くので歩くのは断念した。三社祭がある浅草までは行きたかったが残念である。



 
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