京急 大森海岸駅〜旧東海道 美原通り〜
京急 蒲田駅
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旧東海道 品川宿散策(H18-10-21) | ||
京急本線(立会川〜鈴ヶ森刑場遺跡〜京急蒲田) |
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京急本線 大森海岸駅 | |
旧東海道(第一京浜)を南下 | |
磐井神社 大森海岸駅から100mほど南下した右手にあり、東海七福神でもっとも南に位置し、弁財天を祀る。 |
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磐井神社 磐井神社は、延喜式に伝わる古社で、祭神に岩清水八幡を勧請し、鈴ヶ森八幡宮と称された。境内に祀る弁財天は古くより「笠嶋の祠」として名高く、また鈴ヶ森の地名の元になったという鈴石、烏の模様のある烏石や、第一京浜国道沿いの鳥居前にある磐井の井戸など、文化財が多い。 |
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旧東海道(第一京浜) 平和島口交差点 T字路で、左に曲がると平和の森公園で、有名な平和島競艇場は大森海岸駅の東側にあり、大井町競馬場に隣接する。 |
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旧東海道(第一京浜) 美原通り入口 平和島口交差点から100mほど南にあり、第一京浜は大きく右に曲がり、片道1車線の道が旧東海道の美原通りである。分岐点に交番がある。 |
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旧東海道(美原通り) 旧東海道の碑 | |
旧東海道(美原通り) 旧東海道の碑 旧東海道の景観は著しく変貌したが、往時の幅員を比較的残しているのは本区ではこの付近九〇〇メートルと六郷地区の一部だけになった。字名の南、中、北原をまとめ三原通りと呼ぶ。 本区とは大田区であり、三原通りが改称されて美原通りとなった。 |
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旧東海道(美原通り) 旧東海道の碑 | |
旧東海道(美原通り) 美原不動尊 | |
旧東海道(美原通り) 旧東海道らしさはなく、普通の商店街である。 |
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旧東海道(美原通り) 環七を渡る。 | |
旧東海道(美原通り) | |
旧東海道(美原通り) 旧東海道の碑 | |
旧東海道(美原通り) 旧東海道の碑 | |
旧東海道(美原通り) 2ヵ月後の4月に浅草海苔のふる里であるこの地に「大森ふるさとの浜辺公園」が出来る。 |
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旧東海道(美原通り) 大森警察署前交差点 ここで第一京浜と合流、直進する。 左折すると産業道路となって京急空港線の大鳥居交差点を経て、大師橋に到る。 |
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旧東海道(第一京浜) 貴舩(貴菅)神社 | |
旧東海道(第一京浜) 梅屋敷公園 旧東海道沿いには明治天皇関連の碑が多い。梅屋敷公園も「聖蹟」蒲田梅屋敷公園とも言われる。 |
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旧東海道(第一京浜) 梅屋敷公園 (梅屋敷と和中散売薬所跡) 和中散は、食あたり、暑気あたり等に効く道中常備薬として作られ、旅人に珍重された。元禄から正徳(1688年〜1716年)にかけて大森村中原、谷戸、南原に三店が開業した。このうち南原にあった店が、後に北蒲田村の忠左衛門に譲られ、この地に移転したと言う。 文政年間(1818〜1830年)の始め、子の久三郎の代に、庭園に梅の名木を集め、休み茶屋を開木、梅屋敷として有名になった。 |
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旧東海道(第一京浜) 梅屋敷公園 蒲田村の山本屋が建てた碑で、日本橋まで三里十八丁である。14km弱で、JR東京駅から蒲田駅まで14.4kmである。 |
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旧東海道(第一京浜) 梅屋敷公園 まだ2月中旬なのに、梅はほとんど散っている。 |
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京急本線の高架工事 現在は地上を走っており、手前の2階建て民家と比較するとその高さが分る。 |
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多摩堤通りを渡る。 | |
京急本線 蒲田駅 蒲田駅周辺の高架工事中で、駅の入口が分りにくい。 |