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浅草線 日本橋駅〜兜神社〜鎧の渡し跡

【関連サイト】   初夏の下町散策(銀座〜日本橋〜深川不動尊)H270521(兜神社〜東京証券取引所〜茅場町駅)

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都営浅草線 日本橋駅 都営浅草線 日本橋駅 

浅草線 日本橋駅〜兜神社〜鎧の渡し跡〜水天宮〜甘酒横丁〜明治座〜清洲橋通り〜薬研堀不動院〜両国橋〜回向院〜本所元禄市〜本所松坂町公園(吉良邸跡)〜両国公園(勝海舟生誕の地)〜北斎通り〜錦糸町駅

【撮影記録】
令和元年 12月 14日 快晴
9:55〜12:50 10,600歩(概算 6.9km 地図上の距離 6.2km)

今年の東京は天候不順が続くが、珍しく快晴で朝は寒かったがすぐ暖かくなってコート不要となった。久しぶりに本所義士祭でちゃんこ鍋が食べたくなり、いつもは錦糸町から歩くがそれだと会場に早く着きすぎるので江戸橋の鎧の渡し跡から水天宮経由で歩いた。
回向院、本所義士祭を巡る老人会の団体ツアーが多いのは想定内だが、両手に長いウォーキング用の杖を引き摺りながら歩くグループには困った。数十人が揃いの杖を引き摺るので足を引っ掛けそうになり、早々に追い抜いたが見物していると追いつかれてしまう。団体で杖を使うのなら来るな、と言いたい気になった。
黄葉も終りに近いイチョウ並木の昭和通りを北上 黄葉も終りに近いイチョウ並木の昭和通りを北上 
昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 
昭和通りを北上 江戸橋南交差点 江戸橋界隈 案内図 昭和通りを北上 江戸橋南交差点 江戸橋界隈 案内図 

日本橋郵便局は江戸橋南詰にある。 
昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 
昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋郵便局(郵便発祥の地) 

以前(平成24年)来た時にはここに郵便制度を作ったといわれる前島密像があったはずだが無くなっていた。

郵便発祥の地

ここは、明冶四年三月一日(1871年4月20日)わが国に新式郵便制度が発足したとき駅逓司と東京の郵便役所が置かれたところです
昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 

右折して日本橋郵便局と日本橋ダイヤビルの間の日本橋川沿いの道を南下する。
昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 

銘板の摩滅がひどく、読解は非常に難しい。
昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 昭和通りを北上 江戸橋南交差点 日本橋ダイヤビル(旧 三菱倉庫本店) 

日本橋ダイヤビルディング(旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル)

 三代広重が「古今東京名所」で描いた煉瓦造りの「江戸橋三菱の荷蔵」(明治13年(1880)築)が、大正12年(1923)の関東大震災により飛び火で焼け落ちたため、昭和5年(1930)に、耐震耐火に優れた鉄筋コンクリート造(一部フラットスラブ構造)の近代的都市倉庫「江戸橋倉庫ビル」(地下1階・地上6階建)が建設された。
 船橋を模した屋上の塔屋や上層階の半円窓など、船体を思わせる個性的な外観を持つ、表現主義の影響を受けた代表的な作品、日本橋川をロンドンのテムズ川に見立て、外国航路の本船が停泊しているのが、このビルのモチーフとする見方があり、横光利一著「家族会議」(昭和10年(1935))では、「三菱倉庫のそびえるあたりの静かな波はベニスに似ている」と表現された。
 「江戸橋倉庫ビル」は建設以来80有余年が経過し、環境も変化したため、平成23年(2011)に外観の約7割を保存し建替える再開発に着手し、平成26年(2014)に地上18階建てのオフィスビル「日本橋ダイヤビルディング」として竣工した。
日本橋川沿いの道を南下 首都高都心環状線の高架を過ぎる 日本橋川沿いの道を南下 首都高都心環状線の高架を過ぎる 

首都高都心環状線の高架を過ぎるとすぐ左手に兜神社がある。
 日本橋川沿いの道を南下 兜神社 日本橋川沿いの道を南下 兜神社 

首都高都心環状線の高架を抜けてすぐ左手にある。見落としやすい。

明治十一年ここ兜町に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当り、同年五月取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として兜神社を造営した。
御社殿に奉安してある倉稲魂命の御神号は時の太政大臣三條實美公の揮毫になるものである。
当社は御鎮座後一度換地が行われた。昭和二年(一九二七年)に再度換地を行い、兜橋橋畦の現在地約六十二坪(約二〇五平方米)を卜して同年六月御遷座を行い、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。
昭和四十四年(一九六九年)5月高速道路の建設に伴い御影石造りの鳥居を残して旧社殿を解体し、同四十六年(一九七一年)三月現在の鉄筋コンクリート一間社流造り・向拝付きの社殿を造営した。
屋根は銅板葺とし、玉垣・参道・敷石などは御影石をもちいた。
 日本橋川沿いの道を南下 兜神社 日本橋川沿いの道を南下 兜神社 

見落としたが、境内には兜岩があり、兜町の町名の由来になっている。
 日本橋川沿いの道を南下 兜神社 日本橋川沿いの道を南下 兜神社 
 日本橋川沿いの道を南下 日証館、東京証券取引所 日本橋川沿いの道を南下 日証館、東京証券取引所 

左が日本橋公証役場がある日証館、右が東京証券取引所である。
日本橋川沿いの道を南下 東京証券取引所 日本橋川沿いの道を南下 東京証券取引所 
日本橋川沿いの道を南下 証券取引所前交差点で右折、平成通りへ 日本橋川沿いの道を南下 証券取引所前交差点で右折、平成通りへ 
日本橋川沿いの道を南下 証券取引所前交差点 東京証券取引所 日本橋川沿いの道を南下 証券取引所前交差点 東京証券取引所 
平成通り 証券取引所前交差点 日本橋川に架かる鎧橋 平成通り 証券取引所前交差点 日本橋川に架かる鎧橋 
平成通り 証券取引所前交差点 鎧の渡し跡 平成通り 証券取引所前交差点 鎧の渡し跡 

 鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
 伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一〇四六〜五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
 この渡しは、明治五年(一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。
 平成通り 日本橋川に架かる鎧橋 平成通り 日本橋川に架かる鎧橋 
平成通り 証蛎殻町交差点で左折、新大橋通りへ 平成通り 証蛎殻町交差点で左折、新大橋通りへ 



 
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