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ボロ市(ボロ市通り) 混んではいるが、店をじっくり見ながら西進
ボロ市通りは片道1車線ではあるが、駒沢公園通りよりは広いので大混雑ほどではなく、店をじっくり見ながら歩くことが出来る。 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市名物 安価な衣料品
ボロ市名物の安価な衣料品店がいくつも出店しており、中高年の女性客で賑わっている。ブランド品などはないが、衣料品の質に見合った価格と見え、品選びをする客が多い。 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市名物 安価な衣料品
どのように使うのか分からないが、リメイク用の正絹や大島紬が半値で売られている。 |
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ボロ市(ボロ市通り) 次第に混みだし、店に近づき難くなる
ボロ市は世田谷線の世田谷駅と上町駅の間で行われるため、上町駅側から来る人が増えてくると混雑する。 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市名物 安価な衣料品
何に使うのか知らないが、店の印半纏などが人気のようである。 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市名物 安価なバック店 |
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ボロ市(ボロ市通り) 混みだし、店に近づき難くなる |
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ボロ市(ボロ市通り) 混みだし、店に近づき難くなる |
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ボロ市(ボロ市通り) 洒落たアクセサリー店 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市名物 代官餅を買うため右折
今まで買ったことはないが、あまりの混雑に疲れてきたので、ボロ市名物と言われる代官餅を土産にするため、横断幕に従い右折して横道に向かう。 |
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ボロ市(ボロ市通り) 外人まで出店している
横道に入ると、国籍は分からないが、外人が売るペルシャ風の洒落た皿や置物販売店がある。 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市名物 代官餅を買うための長蛇の列
横道を進むと係員が「ここが最後尾」の看板を持っており、3重に折れ曲がった列が出来ていた。人気の品物だから列が出来るのもしょうがない、と思い並ぼうとした。ところが、後から来た人がこの列で良いのかと係員に聞いたら、後ろに見えるビルの所にさらに列があり、その列の続きがこの並びだとの説明があった。 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市名物 代官餅を買うための長蛇の列
代官餅を買う列がビルの並びに沿って3重に折れ曲がっており、その列は「ここが最後尾」の看板の列よりも数倍長く、買うのを諦めた。 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市名物 世田谷代官屋敷跡
ボロ市名物の世田谷代官屋敷跡は世田谷中央病院の交差点から270mで、ボロ市に来た人は必ず寄るという人気のスポットである。
世田谷代官屋敷跡の詳細は別ページにまとめた。 |
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ボロ市(ボロ市通り) ボロ市開催440年記念 横断幕
世田谷区のホームページには以下のようにか書かれている。
ボロ市の始まり
ボロ市の始まりは、遠く安土桃山時代まで遡ります。当時関東地方を支配していた小田原城主北条氏政は、天正6.年(1578))世田谷新宿に楽市を開きました。楽市と言うのは市場税を一切免除して自由な行商販売を認めるというもので、毎月一の日と六の日に6回開いていたので、六斎市(ろくさいいち)ともいいました。その後、北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、徳川家康が江戸に幕府を開き、世田谷城が廃止されると、世田谷新宿が城下町としての存在意義を失い急速に衰えていきました。六斎市は自然消滅して姿を変え、何時のころからか年に1回、年の暮れに開かれる歳の市(市町)になっていきました。明治の世になって新暦が使われてから正月15日にも開かれ、やがて12月15・16日の両日、正月にも15・16日の両日開かれるようになり現在に至ってます。 |
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ボロ市(ボロ市通り) 混んではいるが、店をじっくり見ながら西進 |
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ボロ市(ボロ市通り) 混んではいるが、店をじっくり見ながら西進 |
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ボロ市(ボロ市通り) 混んではいるが、店をじっくり見ながら西進
今から60年ほど前の小学生の頃は、このような神棚を売る店も多く、歳の市の色彩が濃かった。 |
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ボロ市(ボロ市通り) 上町行きの横断幕の指示に従い右折 |
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ボロ市(ボロ市通り) 狭い住宅街を北上 |
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世田谷通りを渡る
世田谷通りは世田谷三丁目交差点で左に曲がり南西に向かう。その曲がり角に写真の交差点がありその先に上町駅があって、世田谷線は直角に右折して北上する。 |
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世田谷通りを渡り、東急世田谷線 上町駅へ
この交差点の少し東側で世田谷通りは分岐し、僅かな区間西進するが、本線は南西に向かう。 |