聖路加ガーデン〜鉄砲洲稲荷神社〜南高橋
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【関連サイト】 | 散策点描)新宿御苑と都会の富士塚を巡る |
かちどき橋西詰 周辺案内図 赤矢印が現在地で、隅田川の上流(右側)に沿って歩くと聖路加ガーデンに着く。 |
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聖路加ガーデン | |
住友生命ビル 赤色のビルで、かってはIBMのビルだった。IBMも面白いビルに入ったものだ、と評判になっていた。 |
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聖路加ガーデン | |
電信創業之地碑 聖路加ガーデンの手前にあるあかつき公園の端にある。この碑の右側に水炊きで有名な治作がある。 |
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電信創業記念碑の由来 旧暦明治2年9月19日(太陽暦10月23日)に横浜裁判所と東京運上所に設けられた「伝信機役所」を結ぶ約32キロの電信線架設工事が開始され、同年10月25日に業務を開始した。これが、我が国における公衆電気通信の最初である。 |
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水炊きの老舗 治作 | |
史跡 運上所跡 治作の向って左の端の所にある。 慶応3年(1867年)に、江戸築地鉄砲洲明石町の一帯を外国人居留地と定め税関業務等を行う運上所を設置しました。これが東京税関の始まりです。 |
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治作と運上所跡の碑 | |
聖路加ガーデン 左の低い建物が聖路加病院である。 |
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聖路加ガーデン | |
佃大橋への連絡道路の下を進む 道路を過ぎると鉄砲洲素通りとなる。 |
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鉄砲洲通りを北進 | |
鉄砲洲通りを北進、湊三丁目交差点を過ぎる | |
佃島の高層マンション群 バブルたけなわの頃、大川端再開発と言うことで、リバーシティ21の高層マンション群が建てられた。 |
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佃島の高層マンション群 | |
鉄砲洲稲荷神社 鉄砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。 神社は、寛永元年(一六二四)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(一八六八)現在地に移転し、今日に至っています。 西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。むかしの富士塚は「江戸名所図会」にも描かれた有名なものでした。 |
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鉄砲洲稲荷神社 | |
鉄砲洲稲荷神社 | |
鉄砲洲稲荷神社 右奥の社務所の先に浅間神社があり、富士塚がある。 |
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鉄砲洲稲荷神社 富士塚 柵が設けられており、近づくことは出来ないが、結構大きな塚である。 富士塚は話には聞いていたが、初めてみたのは新撰組所縁の千葉流山の浅間神社だった。その後、千駄ヶ谷や、新宿界隈にあるのを知った。 |
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湊町一丁目交差点で右折 鉄砲洲通りを直進すると高橋に出るが、右折する。 |
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南高橋 創架年代は、昭和六年(一九三一)に起工、同七年三月に竣工。 現在の南高橋の地には江戸時代には木橋は架橋されておらず、亀島川上流に高橋があったのみでした。大正十二年(一九二三)の関東大震災ののち、街路の大規模な区画整備が行われた時に当時の本湊町と対岸の越前堀一丁目との間の亀島川に新しく橋を架けることになりました。 |
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南高橋 | |
南高橋 | |
南高橋からの風景 | |
南高橋から見た佃島の高層マンション |