国際通り 浅草六区〜鷲神社〜日光街道 大関横丁交差点
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つくばエキスプレス | ||
安藤広重 江戸百景 第3回 待乳山・山谷堀夜景(H16−06−20) | ||
国際通り 雷門一丁目交差点 後方のビルはタワーズセンタービルで、焼き肉店などの飲食店が入っている。 |
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雷門一丁目交差点 雷門通り | |
国際通り 浅草六区 ROX | |
国際通り つくばエクスプレス 浅草駅 国際通りの下をつくばエクスプレスが走っている。「浅草駅」となっているが、吾妻橋界隈の昔からの浅草駅からはかなり離れている。 |
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国際通り 浅草六区 浅草ビューホテル 国際通りを挟んで浅草寺近くの花屋敷がある。 |
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国際通り 西浅草三丁目交差点で言問通りを渡る | |
国際通り 千束五差路交差点 鷲神社からは500m以上も離れており、かなり手前であるが、右手に神社からの戻りの参拝客の便を考えてのバイパスであある。これが必要な理由は鷲神社に行って良く理解できた。 |
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国際通り 鷲神社 二の酉の市風景 | |
国際通り 鷲神社 二の酉の市風景 鷲神社の手前の小路も様々な屋台でいっぱいである。焼きそばや、串焼きなどの定番は言うまでもなく、べったら漬けのような東京の冬の名産品も売られている所が下町らしい。 |
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国際通り 鷲神社 酉の市 鷲神社の酉の市は別ページにまとめたが、普段は閑散としており、こんなに広い境内だったか、と驚かされる。 |
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国際通り 鷲神社 二の酉の市風景 歩道の半分は屋台に占められ、残りを参拝に向かう人、地下鉄日比谷線三ノ輪駅に向かう人とすれ違う大混雑である。 |
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国際通り 一葉記念館への案内 4年前の平成16年に5千円札として樋口一葉が採用された時は、一葉記念館を組み込んだウォーキングのイベントが多かった。 |
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樋口一葉 旧居跡 樋口一葉は明治二十六年七月二十日、本郷菊坂町より下谷竜泉寺に移り住み、この界隈を背景にして不朽の名作「たけくらべ」や「わかれ道」の題材を得た。この碑の位置は、一葉宅の左隣り酒屋の跡にて、一葉と同番地の西端に近く碑より東方六メートルが旧居に当る。 なお、一葉はこのあたりを 「鶉なく聲もきこえて花すすき まねく野末の夕べさびしも」 と和歌に詠んでいる。 |
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樋口一葉 旧居跡 | |
旧町名由来 竜泉寺町 本町名は、古刹「竜泉寺」にちなんで付けられた。「竜泉寺」の創建は大変古く、慶長から元和の頃(一五九六〜一六二三)にさかのぼる。そのためこの付近一帯は早くから竜泉寺村と呼ばれていた。そして延宝七年(一六七九)の頃、吉原から金杉へ抜ける道筋に民家が建ち始め、町並ができた。そこは竜泉寺村の内であったが、いつしか竜泉寺町と呼ぶようになった。 明治二年(一八六九)竜泉寺町は下谷竜泉町と改称した。その後、同ニ十四年には竜泉寺村、干束村および三ノ輪村の一部を合わせ町域を広げるとともに下谷竜泉寺町となった。そして明治四十四年に下谷を略し再び竜泉寺町となった。 明治文壇の女流作家樋ロー葉は、明治二十六年七月からこの地に住んだ。わずか十箇月だったが、ここでの生活があってこそ一葉文学が生まれたといえる一葉ゆかりの地である。 |
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左折して樋口一葉館へ | |
樋口一葉記念館 5000円札発行ブームの4年前に訪れた時は普通の民家風の建物であった。その1年後に訪れた時は改築中だったが、こんな立派なものになっていた。 |
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樋口一葉記念館 一葉女史たけくらべ記念碑 近代文学不朽の名作「たけくらべ」は樋ロー葉在住当時の竜泉寺町を中心に吉原界隈が舞台となった。これを記念して昭和二十六年十一月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管された。 碑文は女史の旧友歌人佐佐木信綱博士作並びに書による次の歌二首が刻まれている。(略) |
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樋口一葉記念館 一葉女史たけくらべ記念碑 | |
樋口一葉記念館 | |
樋口一葉記念館 | |
国際通り 鷲神社 二の酉の市風景 三ノ輪駅に向かう途中は、どこまで続くのかと思うほど屋台が並ぶ。 |
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国際通り 三ノ輪交差点で右折、昭和通りへ | |
日光街道 大関横丁交差点で右折、明治通りへ 昭和通りは大関横丁交差点で日光街道と改称される。 |