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初秋の旧芝離宮、浜離宮散策H260909
【地図の見方】
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地図上の歩行距離 2.3km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります) Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離
経路 A:浜松町駅〜竹芝通り〜B:旧芝離宮(0.2km)〜竹芝通り〜海岸通り〜
C:浜離宮(1.4km/1.6km)〜汐留シオサイト〜D:JR新橋駅(0.7km/2.3km)
地図システムの機能上、離宮内のコース、距離は表示できません。
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浜松町駅〜旧芝離宮〜浜離宮〜JR新橋駅
浜松町駅から竹芝通りを東進、旧芝離宮前交差点で左折し旧芝離宮恩賜庭園に入る(別ページに整理)。庭園を出て旧芝離宮前交差点で右折し、竹芝通りの芝商業高校前交差点で左折、海岸通りへ出て北上、ゆりかもめ線の高架下を進み、汐留川が南縁と西縁を流れる浜離宮沿いに歩く。中の御門を過ぎて汐先橋交差点で右折新大橋通りへ入り、築地川に架かる大手門橋から浜離宮恩賜庭園に入る(別ページに整理)。庭園を出て汐先橋交差点で左折、環二通りへ進む。新虎通り開通により、今年(平成26年)4月に虎ノ門から有明までが環二通りと名付けられた。環二通りの汐留シオサイトの電通本社ビルの階段を上り、ペデストリアンデッキへ入り道なりに歩いてゆりかもめ線新橋駅を経て、JR新橋駅の烏森口に至る。
旧芝離宮は延宝6年(1678)、4代将軍徳川家綱から老中大久保加賀守忠朝が下屋敷として拝領したのを初めとし、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、明治9年「芝離宮」となった。北西角の入口から入り、大泉水の周りを反時計回りに散策する。大泉水の州浜に立つ雪見灯籠を過ぎ、南縁の築山や大山に上ると庭園が一望できる。庭園内には小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室にあった門柱があり、これは小田原北条家に仕えた戦国武将の旧邸から運ばれた。大泉水の西湖の堤を通り中島を経て八ツ橋を渡り、庭園の東側に出る。大泉水を一周して庭園の北東角にひっそりとある海水取入口跡を過ぎ、北縁の藤棚を経て出口に至る。
浜離宮恩賜庭園散策H260909
築地川に架かる大手門橋を渡り、大手門から浜離宮恩賜庭園に入る。浜離宮は海水を引き入れた潮入の池と、二つの鴨場を伝え、江戸時代には、江戸城の「出城」としての機能を果たしていた。幕末には、石造洋館の延遼館が建設され、迎賓館として使われた。大手門口から延遼館跡に向かうが、旧芝離宮は入口で庭園が一望できたが、浜離宮は敷地で6倍、大泉水で3倍と一周するのも簡単ではない。迎賓館だった延遼館跡は広大な芝生広場で美しいが何もなく、遊歩道をひたすら南下する。突き当りで右折して木製のテーブルや椅子が並ぶ野外卓広場を通り、地面が泥濘んで近くには寄れないが南西角にある新銭座鴨場に着く。鴨猟の仕組みなど詳細な説明板がある。
南西角の新銭座鴨場から戻り、潮入の池(大泉水)横にある馬場跡を通り、庭園の南辺の潮入の池(大泉水)に架かるお伝い橋を渡って中島の御茶屋に寄る。汐留川への水門を見ながらお伝い橋を戻り左折して富士見山に上り、庭園内を一望する。潮入の池(大泉水)の東側の遊歩道を北上し、中の橋を渡って潮入の池(横堀)沿いの遊歩道を北上する。道標に従い水上バス発着場へ向かい、北東角にある庚申堂鴨場に着く。
潮入の池(横堀)沿いの遊歩道を北上、海手お伝い橋、東京湾への横堀水門、新樋の口山、将軍お上がり場と過ぎて水上バス発着場に着く。水上バスから下船する観光客は中高年者の団体か、欧米のカップルばかりである。大手門出口に戻りたいが、同じような木立が続くのでまず南下して目印を探すことにする。新樋の口山、東京湾への横堀水門、庚申堂鴨場と戻り、海手お伝い橋で「出口」と表示されている道標を見つけた。以後は道標に従って歩き、潮入の池(大泉水)北縁の遊歩道の松の御茶屋、お伝い橋と経て可美真手命の像に着く。饒速日命(にぎはやひのみこと)の皇子で、神武天皇の東方遠征に従い、手柄をたてたと言われる軍神の銅像である。芳梅亭前の三叉路を右折して北上、花木園、内堀と通り、突き当りにある三百年の松で左折して大手門出口に至る。
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