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上野〜浅草通り〜浅草寺

【関連サイト】   満開の上野、谷中、浅草散策(H20−03−29)
有名仏閣 浅草寺・浅草神社


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上野駅 不忍口 再開発中の旧聚楽台 上野駅 不忍口 再開発中の旧聚楽台 

西郷銅像の下にかつてあったレストラン聚楽台は、3年前(平成20年4月)に閉店、再開発中である。開店後50年を経ており、上野の駅の雰囲気そのもの様な薄汚い食堂だったが、人気もあった。
中央通り JR 上野駅 広小路口 中央通り JR 上野駅 広小路口 
中央通り JR 上野駅  広小路口前歩道橋 中央通り JR 上野駅  広小路口前歩道橋 

歩道橋の先で中央通りは昭和通りと合流する。
中央通り JR 上野駅 浅草口 中央通り JR 上野駅 浅草口 
昭和通り 上野駅交差点で右折、浅草通りへ 昭和通り 上野駅交差点で右折、浅草通りへ 
昭和通り 上野駅交差点で右折、浅草通りへ 昭和通り 上野駅交差点で右折、浅草通りへ 

少しづつ青空が出始める。
浅草通り 稲荷町交差点で清洲橋通りを渡る 浅草通り 稲荷町交差点で清洲橋通りを渡る 
浅草通り 松が谷一丁目交差点 浅草通り 松が谷一丁目交差点 
浅草通り 菊屋橋交差点 かっぱ橋道具街 浅草通り 菊屋橋交差点 かっぱ橋道具街 
浅草通り 菊屋橋交差点 かっぱ橋道具街 浅草通り 菊屋橋交差点 かっぱ橋道具街 
浅草通り 寿四丁目交差点で左折、国際通りへ 浅草通り 寿四丁目交差点で左折、国際通りへ 
国際通り 雷門一丁目交差点で右折、雷門通りへ 国際通り 雷門一丁目交差点で右折、雷門通りへ 
雷門通りを東進 雷門通りを東進 

4月の花見シーズンというのに閑散としている。いつもは歩くのも大変なぐらいに混雑している。
雷門通り 東西めぐりん #26 雷門通りバス停 雷門通り 東西めぐりん #26 雷門通りバス停 

東西めぐりんバスに、パンダの絵と「祝来園」のプレートが付けられている。
浅草寺 雷門 浅草寺 雷門 
浅草寺 仲見世通り 浅草寺 仲見世通り 
浅草寺 伝法院通り 浅草寺 伝法院通り 
浅草寺 宝蔵門前風景 浅草寺 宝蔵門前風景 

宝蔵門前に飾られた提灯に「東北地方太平洋沖地震 お見舞い申し上げます」がある。
浅草寺 宝蔵門 浅草寺 宝蔵門 
浅草寺 五重塔 浅草寺 五重塔 
浅草寺 本堂 浅草寺 本堂 
浅草寺 御水舎脇から見える東京スカイツリー 浅草寺 御水舎脇から見える東京スカイツリー 
浅草神社 浅草神社 

今年は東日本大震災の影響で中止となったが、三社祭は浅草寺に隣接する浅草神社の祭である。三社とは、約1,400年前に観世音菩薩像を網にかけた漁師兄弟と、土地の有力者3名を祭ったことによる。
浅草神社 浅草神社 
浅草寺 二天門 浅草寺 二天門 

長らく改修工事をしていたが、鮮やかな黒みがかった朱色に生まれ変わった。
浅草寺 二天門 浅草寺 二天門 

 この二天門は、慶安二年(一六四九)頃に浅草寺の東門として建立されたようであるが、江戸時代を通じて浅草寺観観音堂の西側に建てられた東照宮の随身門と伝えられ、随身像が安置されていた。なお、浅草寺の東照宮は元和四年(一六一八)に建立されたが、寛永八年(一六三一)と同一九年の火災によって、浅草寺の他の諸堂とともに焼火し、その後東照宮は江戸城内の紅葉山に移された。
 明治初年の神仏分離令によって門に安置された随身像は、仏教を守護する四天王のうち持国天・増長天の二天像に変わり、名称も二天門と改称した。
 現在安置されている二天像は、京都七条の仏師、吉田兵部が江戸時代初期(十七紀後半)に制作したもので(東京都指定有形文化財)、昭和三十二年に寛永寺の厳有院殿(四代将軍徳川家綱)霊廟の勅使門から移されたものである。
 二天門は昭和ニ十五年、国指定重要文化財に指定された。
浅草寺 二天門 浅草寺 二天門 



 
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