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江戸通り 浅草橋交差点で靖国通りを渡り左折
靖国通りを渡り、左折して東進する。 |
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浅草橋交差点 靖国通りを清杉通りへ向かう |
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浅草橋交差点 界隈案内図
横山町繊維問屋街の概要が理解できる。靖国通りの江戸通りとの交差点と清杉通りとの交差点(交差点名としては共に浅草橋交差点)を結ぶ線を北辺とし、左斜めの江戸通りが西辺、清洲橋通りを南辺、清杉通りが東辺の三角形に近い四角形が横山町繊維問屋街である。
西辺はJR総武線快速、南辺は都営新宿線、東辺には都営浅草線が走っているので界隈案内図も太く色づけられた線となっており、分かりやすい。 |
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浅草橋交差点 靖国通りで右折、新道問屋街へ
清杉通りへ向かう途中に新道問屋街入口のゲートがあり右折、問屋街を南下する。 |
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浅草橋交差点 靖国通りで右折、新道問屋街へ
ゲートを過ぎると呉服の丸中の看板があり、一角が繊維問屋街に一変したことに驚かされる。
入ってすぐの交差点で左折、東通りを東進する。 |
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横山町繊維問屋街 東通りの突き当りで右折、横山町大通りを南下 |
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横山町繊維問屋街 横山町大通りを南下
取り扱っている商品は様々で、入ってすぐ右の青い看板の店は婦人衣料のイチオク、その奥の丹波屋はインテリア、生活雑貨店である。
馬喰横山繊維問屋街は大通りもあるが細い道も多い。この道を神田明神の神幸祭では三基の鳳輦が巡る時の各商店の熱烈な歓迎ぶりは見ものである。 |
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横山町繊維問屋街 横山町大通りを南下 |
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横山町繊維問屋街 横山町大通りを南下
横山町と隣接する馬喰町にある繊維問屋街は例外的に素人にも販売する店もあるが、原則は問屋街であり、下記のような注意書きが見られる。
ご案内
当社は会貫制につき
一般の方はご遠慮を
いただいております。
何卒ご了承の程、
よろしくお願い致します。
(株)マスダ造 |
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横山町繊維問屋街 横山町大通りを南下
紳士服の量販店で有名な坂善本店もある。 |
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横山町繊維問屋街 横山町大通りを南下 |
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横山町繊維問屋街 横山町大通りを南下
女性物セーターに「小売しません」の札が掲げられている。 |
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横山町繊維問屋街 横山町大通りを南下、左折して清洲橋通りへ |
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横山町繊維問屋街 清洲橋通りを東進、共栄会通りを渡る |
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横山町繊維問屋街 清洲橋通りを東進、共栄会通りを渡る
共栄会通りとの交差点に都営新宿線の馬喰横山駅の出入り口がある。 |
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横山町繊維問屋街 清洲橋通りを東進、東日本橋三郵便局 |
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清洲橋通り 東日本橋交差点で清杉通りと合流
この交差点からは清洲橋通りとして南下する。 |
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清洲橋通り 東日本橋交差点で清杉通りと合流
ビルの合間にスカイツリーが見える。 |
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清洲橋通りを南下 |
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清洲橋通りを南下 久松町交差点 賀茂真淵県居の跡
清洲橋通りの久松町交差点の右角にあるジョナサンのビル外壁に賀茂真淵県居の跡の碑がある。 |
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清洲橋通りを南下 久松町交差点 賀茂真淵県居の跡
古歌をとおして、わが国の古典学の基礎を築いた賀茂真淵(一六九七一一七六九)は、現在の浜松市の出身で、はじめ京に出て荷田春満に入門し、元文二年(一七三七)江戸に下り、田安宗武(徳川三卿の一人)に迎えられ、和学を講じた。 隠居後、浜町山伏井戸の東方に住み、県居の翁と称し、「万葉考」「歌意考」「国意考」「祝詞考」等を著した。また歌会なども多く開き、その作品は今に伝えられている。 あがた居の茅生の露原かけわけて 月見に来つる都人かも その旧跡は、この地点の北東約百メートルのあたりである。 |
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清洲橋通りを南下 久松町交差点 |
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清洲橋通りを南下 久松町交差点 |
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清洲橋通りを南下 明治座 |
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清洲橋通りを南下 明治座 浜町公園前交差点で右折、明治座通り(甘酒横丁)へ |