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山鉾巡行−1(長刀鉾〜蟷螂山〜郭巨山)

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御池通 山鉾巡行 有料観覧席始まらない巡行に 説明なし 御池通 山鉾巡行 有料観覧席始まらない巡行に 説明なし 
御池通 山鉾巡行 有料観覧席始まらない巡行に 説明なし 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 始まらない巡行に説明なし 

添乗員の事前説明では10時から巡行が始まるとのことだったが、先頭の長刀鉾がスタート地点に着いた所で停止している。現在10:25なので30分近く経っている。

会場にはなんの説明もなく、有料観覧席には山鉾巡行を解説するガイドがいるグループもいるが、問い合わせに答えられずに困っていた。
 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第1番 長刀鉾 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第1番 長刀鉾 

現在10:45で、なんの説明もないまま先頭の長刀鉾の巡行が始まった。しかし、動き初めてすぐ止まるなど、不具合があるのが歴然としているが、説明はない。

なおこの遅延については帰京後にWEBを調べたが、報じたサイトは見つけられなかった。中途退場し、昼食会場に向かう途中で左車輪の故障らしい、との声が聞こえた。
 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第1番 長刀鉾 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第1番 長刀鉾 

祇園祭山鉾行事の歴史

 八坂神社の祭礼である祇園祭は疫神怨霊を鎮める祇園御霊会が起源で、貞観11年(869年)、全国的に疫病が流行したとき、その退散を祈願して、長さ6メートルほどの矛を、当時の国の数にちなみ66本立て、牛頭天王を祀ったのが始まりと言われています。
 この祇園御霊会は、天禄元年(970年)以降、毎年の行事となります。その後、平安末期にかけて祭は賑やかになり、やがて室町時代には現在のような山鉾が出現しま
す。この山鉾の数は年ごとに増え、15世紀中ごろには、58基もの山鉾が、現在とほとんど変わらぬ姿で巡行を行ったとされます。
 しかし、その後の山鉾巡行の歴史は、受難と復興の歴史でもあります。
 応仁の乱(1467年〜1477年)では、京都の町とともに山鉾もほとんどが焼き尽くされてしまいます。
 乱後23年を経た明応9年(1500年)、町衆が力を合わせて山鉾を復興させ、「祇園社記」によれば、前祭26基、後祭10基の山鉾が巡行を行ったとされており、これが現在の山鉾行事・山鉾巡行の基礎とされています。
 その後も、宝永の大火(1708年)、天明の大火(1788年)、幕末の蛤御門の変(1864年)と3度の大火災に遭い、山鉾町も山鉾も甚大な被害を受けましたが、その都度、町衆の熱意と努力により復興され、現在に至っています。
 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第1番 長刀鉾 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第1番 長刀鉾 

長刀鉾

鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。この鉾は古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭にたち、生稚児の乗るのも今ではこの鉾だけである。真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っている。屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779〜1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。
前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀〜18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調され、また平成28年(2016)には伊藤若冲「旭日鳳凰図」が新調された。平成20年(2008)度に下水引全面の新調が完了した。
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第1番 長刀鉾(動画) 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第1番 長刀鉾(動画) 

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上映時間 2分 8秒
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御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第2番 蟷螂山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第2番 蟷螂山 
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第2番 蟷螂山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第2番 蟷螂山 

蟷螂山

蟷螂山は、「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんでいる。起源は南北朝時代で、足
利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資(1292〜1352)の戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後25年目の永和二年(1376)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。
 その後、蟷螂山は再三の戦火に遭うが、そのつど再興され、巡行を続けてきたのであるが、元治の大火(1864)でその大部分を焼失してしまい、昭和56年、117年ぶりに再興された。
 蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されていることである。前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。
 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第2番 蟷螂山(動画) 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第2番 蟷螂山(動画) 

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御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第3番 芦刈山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第3番 芦刈山 

芦刈山

謡曲「芦刈」に基づく。故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿を
あらわす。御神体(人形)の旧御頭は天文6年(1537)七条仏師運慶の流れをくむ康運作。天正17年(1589)銘をもつ重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は山鉾最古の衣装。現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)、胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。欄縁の彫金飛雁の錺金具は明治36年(1903)川辺華挙の下絵で藤原観教作。旧胴懸の「鶴亀蜀紅文絲錦裂」(江戸時代)をはじめ、「獅子蜀紅文繻珍小袖」(江戸時代)、古い見送など貴重な染織品を多<残している。
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第3番 芦刈山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第3番 芦刈山 
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第3番 芦刈山(動画) 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第3番 芦刈山(動画) 

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上映時間 23秒
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御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第4番 木賊山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第4番 木賊山 

木賊山

謡曲「木賊」に取材し、我が子を人にさらわれて一人信濃国園原で木賊を刈る翁をあらわしている。御神体(人形)は腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持つ。
木彫彩色の頭は仏師春日の作といわれ、足台には「元禄五年(1692)六月吉日」の墨書銘がある。水引は日輪鳳凰文様の綴錦及び道釈人物刺繍、前懸は金地唐人市場交易図刺繍(平成30年度復元新調)、左右の胴懸は平成11〜13年に復元新調した中国故事人物図の綴織、見送は中国明代の牡丹双鳳文様綴錦である。欄縁金具は緻密な雲龍文様で、角金具は唐団扇、木賊と銀兎文様のものが用いられている。旧見送として仙人聞香図の綴錦があり、旧水引には中東幾何文様イギリス織絨毯、他に緑地草花文様の後懸などが保存されている。
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第4番 木賊山(動画) 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第4番 木賊山(動画) 

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御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第4番 木賊山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第4番 木賊山 

現在時刻は10:55で、予定では昼食に向かうため11:30に会場を出る予定だった。しかし、巡行が1時間ほど遅れたため、添乗員が調整して12:00に会場を出ることとした。
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第4番 木賊山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第4番 木賊山 
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾 

山鉾は立て続けに巡行するのではなく、数基ごとに間隔を開けているようで、次の函谷鉾は障害が起きているようには見えない。
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾 
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 熱中症計は厳重警戒 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 熱中症計は厳重警戒 

現在時刻は11:15で、温度31.1℃、湿度は64%、、熱中症計は厳重警戒である。

本来巡行が始まるはずだった10:00で、温度29.6℃、湿度は72%、、熱中症計は厳重警戒である。若干温度は上がったが、湿度も下がっている。
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾 
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾 

函谷鉾

鉾の名は中国戦国時代(前403〜221)斉の孟甞君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなんで付けられている。
鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木のなかほどの「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。屋根裏の金地著彩鶏鴉図は今尾景年(1845〜1924)の筆、前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調している。水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚である。見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懴文と天保年間(1830〜43)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調した。また、平成28年(2016)には狩野探幽の原画をもとにした天井幕「長寿をもたらす夜明けの吉兆鶴」が、平成30年度(2018)事業では金糸角飾房が新調された。この鉾は天明の大火(天明8年、1788)で焼失、50年後の天保10年(1839)に再興され、それ以後「嘉多丸」という稚児人形を用いている。
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾(動画) 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第5番 函谷鉾(動画) 

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御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第6番 郭巨山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第6番 郭巨山 
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第6番 郭巨山 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第6番 郭巨山 

郭巨山

中国の史話二十四孝の一人郭巨釜掘りの故事にちなんで造られ「釜掘り山」ともいわれる。山に飾る御神体(人形)の郭巨と童子は寛政元年(1789)金勝亭九右衛門利恭の作で前懸は天明5年(1785)製の唐美人遊楽図の絽刺、胴懸は石田幽汀(1721〜86)の下絵による呉道子描龍図と陳平飼虎図の刺繍で天明5年松屋源兵衛の作、見送は文化12年(1815)製で円山応震(1790〜1838)の下絵による山水仙人図であったが、昭和58年から新しく上村松篁原画による秋草図前懸、花の汀図および春雪図胴懸、都の春図見送の綴織を順次新調した。後懸は阿国歌舞伎図綴織と古後懸に天明5年改修の黒ビロード地福禄寿図刺繍がある。この山に限って桐桜菊の欄縁の下に金地彩色宝相華文様の乳隠しが用いられ、また屋根覆いをかけている。
御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第6番 郭巨山(動画) 御池通 山鉾巡行 有料観覧席 第6番 郭巨山(動画) 

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