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掲示板(一言どうぞ)




01祇園祭で賑わう京都散策R010717




観光バス走行図(歩行したり、地下鉄乗車区間もあり、正確ではありません)

経路 A:京都駅八条口〜B:堀川御池交差点〜C:山鉾巡行見物会場(富小路通り)〜
D:神泉苑平八〜E:今宮神社〜F:頂法寺(六角堂)
G:がんこ高瀬川二条苑〜H:アークホテル京都

 【目次】   京都駅〜山鉾巡行会場〜山鉾巡行見物   京都市役所前駅〜神泉苑平八〜今宮神社   頂法寺(六角堂)〜がんこ高瀬川二条苑〜神輿渡御

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  京都駅〜山鉾巡行会場〜山鉾巡行見物

 JR東海のツアーで早朝6時27分品川発ののぞみで京都に向かう。7月の日照時間数時間の東京を出て、どんよりした曇り空が続くが、ようやく浜名湖で少し晴れてきて、京都では青空が見えてきた。参加した翌日フリーの1泊コースは参加者がわずか4名で、大型観光バスでノンビリ出来たが、日帰りコースは200人を越し、4台のバスでギュウギュウで、待遇格差のボヤキが聞こえた。9時を過ぎたばかりで交通規制もなく、巡行準備中の山鉾を見つつ堀川通をすんなり北上、堀川御池交差点で下車し、御池通を東進して地下鉄の烏丸御池駅を過ぎて京都市役所前駅の有料観覧席に着く。

 10時に会場の案内放送で御池通一帯の交通規制開始が流れ、広い有料観覧席に期待の緊張感がみなぎる。ところが東外れの京都市役所に止まっている第1番の長刀鉾は一向に動こうとせず、不審の声があちこちで起こる。10時40分頃にようやく動き出したと思ったらすぐ止まり、先導のパトカーや運営専属のカメラマンも行き過ぎて戻る有様である。この間、なぜこのように遅れているのかの説明もなく、ようやく10:45から動いては止まり、を繰り返しつつ巡行が始まった。「くじとらず」と言われる長刀鉾が過ぎた後、唯一のからくりが人気の第2番蟷螂山以後は順調で、第3番芦刈山、第4番木賊山、第5番函谷鉾、第6番郭巨山と通り過ぎていく。開始が1時間ほど遅れたため、第4番木賊山で11時となり、昼食のために会場を出る11時半ではほとんど見れない、と思っていたら添乗員が調整して30分延長の12時発となった。これもわずか4人のツアーの特典である。

 最初の長刀鉾以外は順調に巡行し、第7番の綾笠鉾、第8番伯牙山、第9番菊水鉾、第10番油天神山、第11番太子山、第12番保昌山、第13番鶏鉾と通り過ぎ、第14番白楽天山の後に少し待ち時間ができ、これをきっかけに会場を後にした。どの山鉾も華麗であるが、中国や日本の故事を題材にした山は華やかであり、長刀鉾のように長く倒れそうな鉾もハラハラして美しい。参加ツアーは昼食時刻を延長したが、延長できなかった多くのツアーは11時半頃から次々に退席し、有料観覧席もガラガラになってきた。

  京都市役所前駅〜神泉苑平八〜今宮神社

 山鉾巡行の御池通を東進、京都市営地下鉄東西線の京都市役所前駅に向かう。駅チカのコトチカ御池を通り、東西線の二条城前駅で降り、二条城沿いに歩いて歴史的に有名な神泉苑内にある料亭平八で昼食を摂る。延暦13年(794)桓武天皇が平安京を造営する際、宮中の付属庭園として造られ、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名付けられた。弘法大師空海は、天長元年(824)日本中の旱天の際、勅命により善女龍王を勧請し祈雨の法を修した。以後、神泉苑は名僧が竸って請雨法を行う霊場となった。貞観5年(863)には初めて神泉苑で御霊会が執行され、それが後の祇園祭の発祥となった。食後に神泉苑内にある御池(法成就池)の龍王船、朱塗りの法成橋、善女龍王社などを見物する。

 今宮神社は正暦5年(994年)、一条天皇の御世、平安以前より疫神を祀るこの地に疫病を鎮めるお社として創祀され、新たな社との名である「今宮」と号された。今宮神社は大徳寺の西隣で、北大路通の北にあり、南側の向いには建勲神社がある。今宮神社を解説した神職によれば、大寺院である大徳寺に比べれば知名度で劣るが、明治2年に織田信長を祀るために創建された建勲神社よりはるかに由緒ある神社だ、と言っていた。特別参拝として写真は撮れないが本社、疫社を参拝後、境内を色々と案内され、特に近くの八百屋の娘で後の徳川綱吉の生母となったお玉の「玉の輿」などを拝聴した。

  頂法寺(六角堂)〜がんこ高瀬川二条苑〜神輿渡御

 烏丸通の六角通との交差点で右折すると頂法寺(六角堂)で、山門を挟んで六角通の向かいに鐘楼がある。境内は狭く、山門を入ると六角形をした本堂で六角堂と言われる。開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。また、本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した所で、華道発祥の地として有名である。境内には太子堂、親鸞堂、聖徳太子沐浴の古跡などがあり、撮影禁止だが頂法寺会館の3階にいけばな資料館があり、生け花の歴史、資料などが展示され係員による解説がある。

 頂法寺(六角堂)から観光バスで移動、二条通を東進し木屋町通で左折した所にがんこ高瀬川二条苑がある。おおよそ380年前の慶長十六年角倉了以によってつくられた当庭苑はその後、明治の元勲山県有朋の別荘、第二無鄰庵となり、現在は大岩邸として伝わり、がんこ高瀬川二条苑となっている。料亭の前には島津製作所創業記念資料館、高瀬川遺構がある。17日に八坂神社三基の御輿が氏子区域内を渡御するが、そのうち中御座神輿が木屋町通の高瀬川沿いを北上する。これを見物するため、早めの夕食をがんこ高瀬川二条苑でとり、店前で待機する。この見物も今回のツアーの目玉である。19時過ぎに高瀬川沿いの木屋町通を太鼓を鳴らしながら中御座の神輿渡御の行列が現れ、あっという間に狭い通り一杯に三若神輿会の担ぎ手などで溢れ、がんこ高瀬川二条苑前で神輿の担ぎ上げを行う。






 
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