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御池通 京都市営地下鉄 東西線 京都市役所前駅に向かう
結局1時間遅延のため、山鉾巡行の半分しか見られなかったのは残念である。非常に不満であり、不愉快なのは、巡行を運営する側からなんの説明もなく、手を回したのかマスコミなどが全くこのことを伝えていないことである。 |
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御池通 京都市営地下鉄 東西線 京都市役所前駅に向かう
麩屋町通交差点で15番目の四条傘鉾が巡行の準備をしていた。 |
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御池通 京都市営地下鉄 東西線 京都市役所前駅に向かう |
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京都市営地下鉄 京都市役所前駅 コトチカ御池
京都市役所前駅の地下にはコトチカ御池という大きなショッピングモールがある。駅にどう行けばよいのか分からず、バスガイドに付いていく。 |
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京都市営地下鉄 京都市役所前駅 コトチカ御池 |
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京都市営地下鉄 京都市役所前駅 コトチカ御池 |
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御池通 京都市営地下鉄 東西線 二条城前駅 |
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二条城前駅で左折、押小路通を西進
地下鉄を出ると目の前に二条城があり、押小路通を西進する。 |
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押小路通を西進 料亭 神泉苑平八 北門
昼食は京都で最も古く、歴史ある神泉苑の北西に設けられた料亭神泉苑平八で摂った。 |
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料亭 神泉苑平八 北門
神泉苑
延暦十三年(七九四)桓武天皇が平安京を造営する際、宮中の付属庭園として造られ、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名付けられた。
境域は南北四町東西二町に及び、苑内には大池と中嶋のほか、乾臨閣や釣殿、滝殿も設けられた。
歴代の天皇が行幸され、相撲、賦詩などの行幸を行い、弘仁三年(八一二)嵯峨天皇は日本で初めての桜の花見の詩宴を催した。
弘法大師空海は、天長元年(八二四)日本中の旱天の際、勅命により善女龍王を勧請し祈雨の法を修した。以後、神泉苑は名僧が竸って請雨法を行う霊場となった。
貞観五年(八六三)には初めて神泉苑で御霊会が執行され、それが後の祇園祭の発祥となった。
当苑の法成就池の由来にもなり、また、五位鷺の名称や静御前の祈雨の舞、小野小町の歌など多くの由緒を持つ。現在は国指定の史跡であり東寺真言宗の寺院である。 |
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料亭 神泉苑平八 |
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神泉苑 御池(法成就池) 龍王船 |
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料亭 神泉苑平八から見た神泉苑 |
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料亭 神泉苑平八 |
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神泉苑 本堂(重文 不動明王)
史蹟 神泉苑
延暦十三年(794)桓武天皇が平安京の造営にあたり、大内裏の南の沼沢を開いて設けられた苑池であり、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名づけられました。
その境域は北は二条、南は三条までの南北四町、東は大宮より西は壬生までの東西二町という広大なもので、苑内には大池と中嶋のほか、「乾臨閣」や釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が、舟遊び、観花、詩賦、弓射、相撲などの行事や遊宴をおこなったといわれてにます。
天長元年(824)大規模な日照りとなったときには天皇の要請により東寺の弘法大師空海が雨を祈るため、北インド無熱池の「善女竜王」をお呼びになって空海の法力がかない全国に雨が降り、人々が大いに喜んだ。これ以来、善女竜王は神泉苑にお住みになり、祈雨が盛んに行われました。
貞観十一年(869)疫病の流行に際し、鉾を全国の数、66本造り、神泉苑に集まり行列する御霊会がおこなわれました。(これが後の祇園祭の起源)
また小野小町も来苑し祈雨され
「ことわりや 日の本ならば 照りもせめ
さりとてはまた 天が下とは」
と和歌を詠じられました。後世これを評して
「しっぽりと 小町も一度は 雨にぬれ」(川柳)
とひやかされたといわれてぃます。
寿永元年(1182)雨乞いのため百人の白拍子が舞い、その中に静(静御前)がいて源義経とここ神泉苑で初めて出会ったと記されています。
俳人 与謝蕪村も来苑され一句
「名月や 神泉苑の魚躍る」蕪村
この御池に法成橋という赤い橋があります。真面目な願いを一つして橋を渡り、善女竜王社に御願いすると叶うど言われています。 |
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神泉苑 御池(法成就池)に架かる法成橋 |
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神泉苑 御池(法成就池)に架かる法成橋
法成橋
この橋は心に願いを念じながら渡りその想いを
橋の向こうにある善女龍王様にお願いすると
叶うと言わわています (願いはただ一つ)
胸に抱く守護札は寺務所にてお授けします。 |
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神泉苑 御池(法成就池)に架かる法成橋 |
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神泉苑 善女龍王社 |
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御池通 神泉苑 大鳥居 |
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御池通 神泉苑 大鳥居 |
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御池通 神泉苑 神泉苑と謡曲「鷺」由来
京都の地形は北高西南低で、昔この辺は湿地帯となっていたが、それをうまく利用して禁苑としたのが神泉苑である。かっては広大な地を占め、天皇御遊の庭園として、四
季折々に華麗な行事が催されていた。また苑池には水鳥も多く野鳥観察に好適の地ともされていた。
「源平盛衰記」には醍醐天皇の時代、宣旨に鶯さえも羽をたゝんで、かしこまった話がのせられており、謠曲「鷺」は、これをもとにつくられている。俗に”五位鶯“というのは、このとき天皇から五位の位を賜わったことから、このように呼ばれるようになったといわれている。
謡曲史跡保存会 |
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御池通 神泉苑 神泉苑案内
摩耗が激しく、正確な読解は困難だが、内容的には平八北門の高札と同じである。 |
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御池通 神泉苑 方丈 |
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神泉苑 御池(法成就池)に架かる法成橋、善女龍王社 |
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御池通 神泉苑 方丈 |