|
木屋町通 がんこ高瀬川二条苑(角倉了以別邸跡)
頂法寺(六角堂)から観光バスで移動、二条通を東進し木屋町通で左折した所にがんこ高瀬川二条苑がある。 |
|
木屋町通 がんこ高瀬川二条苑(角倉了以別邸跡)
高瀬川源流庭苑
今日の人々に古くから親しまれ愛されてきた高瀬川の流れは、豪商角倉了以の別邸跡 がんこ高瀬川二条苑を通り木屋町通りをくぐって再び姿を現します。
おおよそ三百八十年前の慶長十六年了以によってつくられた当庭苑は角倉了以の後、明治の元勲山県有朋の別荘、第二無鄰庵となり、その後第三代日本銀行総裁川田小一郎の別邸、安倍市太郎氏の所有をへて現在は大岩邸として伝わり、がんこ高瀬川二条苑となっております。 |
|
木屋町通 がんこ高瀬川二条苑(角倉了以別邸跡) |
|
木屋町通 がんこ高瀬川二条苑(角倉了以別邸跡)で神輿渡御を待つ
17日に八坂神社三基の御輿が氏子区域内を渡御するが、そのうち三若神輿会の中御座神輿が木屋町通の高瀬川沿いを北上する。これを見物するため、早めの夕食をがんこ高瀬川二条苑でとり、店前で待機する。この見物も今回のツアーの目玉である。 |
|
木屋町通 島津製作所創業記念資料館
島津製作所創業の地
島津製作所は、島津源蔵(天保十年〜明治二十七年(一八三九〜一八九四)が創業した精密機器の総合メーカーである。
万延元年(一八六〇)、源蔵はこの地に移り住み、家業てある仏具の鋳物業を営んでいた。明治のはじめ、東京遷都により衰退した京都の復興を目ざし、京都府はこの一帯に、欧米の最新技術を導入する舎密局・織工場などを設立し、強力な産業振興策を展開する。源蔵は、舎密局で指導にあたっていたワグネル博士の薫陶を受け、科学立国の志のもと明治八年(一八七五)に教育用理化学器械を扱う島津製作所を創業した。またその遺志を継いだ二代目源蔵は国産初の蓄電池の開発など、日本独自の産業技術の発展に力を尽くす。
現存する建物は、南棟が明治二十一年(一八八八)、北棟は明治二十七年(一八九四)に増築し、大正八年(一九一九)までの四十四年間、本店兼住居とした創業期ゆかりのものである。創業百周年を機に資料館として公開し、平成十一年(一九九九)に国の「登録有形文化財」に登録されました。 |
|
木屋町通 高瀬川 遺構
がんこ高瀬川二条苑の向かいに島津製作所創業記念資料館があり、その南側に高瀬川がある。高瀬川には伏見の酒を積んだ船の模型が浮かべられている。 |
|
木屋町通 高瀬川 遺構 |
|
木屋町通 がんこ高瀬川二条苑(角倉了以別邸跡)前で神輿渡御を待つ |
|
木屋町通 島津製作所創業記念資料館 |
|
木屋町通 島津製作所創業記念資料館 |
|
木屋町通 島津製作所創業記念資料館 |
|
木屋町通 がんこ高瀬川二条苑(角倉了以別邸跡)前で神輿渡御を待つ
神輿渡御の進行状況を電話でやり取りしながら見物客に連絡している。 |
|
木屋町通 神輿渡御が北上
時刻は19:05で、太鼓を打ち鳴らしながら行列が登場した。 |
|
木屋町通 神輿渡御が北上 |
|
木屋町通 神輿渡御が北上 |
|
木屋町通 神輿渡御が北上(動画)
この写真は動画のスナップショットです。再生ボタンをクリックすると動画を楽しむことができます。
上映時間 3分 4秒
サイズ 529MB |
|
木屋町通 神輿渡御が北上
行列の先導が撮影時にフラッシュを焚かないように、という指示が繰り返された。撮影者は意図しなくとも間近でフラッシュを焚かれると・眼に悪影響があるためである。指示の意味はよく分かるが、ただでさえ暗い道を行列してくるので数件の写真や動画がボケてホームページに掲載できなかった。 |
|
木屋町通 神輿渡御が北上 |
|
木屋町通 神輿渡御が北上 |
|
木屋町通 神輿渡御が北上 |
|
木屋町通 神輿渡御が北上(動画)
この写真は動画のスナップショットです。再生ボタンをクリックすると動画を楽しむことができます。
上映時間 3分54秒
サイズ 665MB |
|
木屋町通 神輿渡御の土産として配られたみこし弁当
神輿渡御に関わる男性陣が木型にご飯を詰めて作る弁当で、これも祇園祭の名物である。神輿渡御を終えた担ぎ手たちが夕食として食べるもので、疲れた身には大変美味しいとのことである。
周りはすっかり暗くなっており、詳細はわからなかった。 |
|
京都 四条大宮交差点 アークホテル京都
|
|
木屋町通 神輿渡御の土産として配られたみこし弁当
ホテルの部屋で見たら結構大きい弁当である。日持ちの問題もあるので、夕食をとっていたが、入浴後に食べた。四角の板状のご飯で、真ん中に梅干しが乗り、たくわんが数切れ付いていた。 |