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JR 田端駅〜田端駅前通り〜東覚寺(福禄寿・赤紙仁王尊)

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JR 山手線/京浜東北線 田端駅 JR 山手線/京浜東北線 田端駅 

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【撮影記録】
平成30年 1月 6日 快晴
10:00〜14:30(昼食 60分) 11,900歩(概算 7.1km 地図上の距離 5.7km)

川崎市のIT研究会であるKSN(川崎シニアネット)の行事として、谷中七福神巡りが行われた。どの寺社も同じ企画のグループが重なり大混雑で、幹事が持つ目印の小旗だけでなく、名簿確認しながら歩いた。天気に恵まれ、出発時は寒かったが次第に暖かくなり、重ね着を脱ぐ人もいた。
7ヶ所の内、他の行事で何度も訪れている場所もあり、2番目の青雲寺(恵比寿)、3番目の修性院(布袋尊)は初めてであった。七福神巡りは武蔵野七福神のように数市にまたがったり、川越のように広く点在して行き方が分かり難い事が多いが、江戸時代から続くコースのため分りやすかった。
田端駅 北口 七福神巡りの待ち合わせ風景 田端駅 北口 七福神巡りの待ち合わせ風景 

田端駅前の東側にあるJR跨線橋の新田端大橋(田端ふれあい橋)に、数グループが待ち合わせをしていた。

JRの跨線橋の左の車道部分が新田端大橋で、右が田端ふれあい橋である。田端ふれあい橋はかつての田端大橋で、新田端大橋の架橋で撤去される予定だったが、歩行者専用の橋として整備された。田端ふれあい橋の左側にある親柱に田端大橋と書かれている。
田端駅 北口 七福神巡りの待ち合わせ風景 田端駅 北口 七福神巡りの待ち合わせ風景 

田端駅の北口改札口前にも待ち合わせをしているグループがいたが、通行のじゃまになるため場所移動をしていた。
田端駅北口から左折、田端駅前通り(都道458号)へ 田端駅北口から左折、田端駅前通り(都道458号)へ 

駅前の目立つ高層ビルは田端アスカタワーである。
田端駅前交差点で田端駅前通り(都道458号)を渡り左折 田端駅前交差点で田端駅前通り(都道458号)を渡り左折 

交差点正面で田端アスカタワーの左に田端文士村記念館がある。芥川龍之介、室生犀星、小杉放庵、板谷波山ら、田端にゆかりのある作家・芸術家の原稿、書簡、絵画、彫刻などを展示している。
田端駅前通り(都道458号)を南下 東台橋 田端駅前通り(都道458号)を南下 東台橋  
田端駅前通り(都道458号)を南下 東覚寺坂を下る 田端駅前通り(都道458号)を南下 東覚寺坂を下る 
田端駅前通り(都道458号)を南下 東覚寺坂を下る 田端駅前通り(都道458号)を南下 東覚寺坂を下る 
田端駅前通り(都道458号)を南下 東覚寺坂を下る 田端駅前通り(都道458号)を南下 東覚寺坂を下る 

東覚寺坂の由来は摩耗がひどく、解読不可能である。
田端駅前通り(都道458号)を南下 案内に従い右折 田端駅前通り(都道458号)を南下 案内に従い右折 

七福神巡りのために臨時に設けられた案内板に従い右折する。普段は案内はないので、少し先の赤紙仁王通りとの交差点で右折する。
 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 

このハ幡神社はヽ田端村の鎮守として崇拝された神社で品陀和気命(応神天皇)を祭神としています。神社の伝承によれば、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。別当寺は東覚寺でした。
 現在東覚寺の不動堂の前にたっている一対の仁王像(赤紙仁王)は、明治元年(一八六七)の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入□に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者か本殿前まで進んで参拝することはできなかったらしく、仁王像のところから参拝するのか通例たったようです。
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 

田端八幡神社、東覚寺山門が新しいのは赤紙仁王通りの拡幅工事のため移動されたためである。
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 

石造金剛カ士立像は、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれています。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在も、なお、祈願する人が絶えません。横の草鞋は、祈願して病気の回復したとする人々によって供えられたものです。

この赤い紙はプラスチックで出来ており、水に濡れても大丈夫になっている。
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 

赤紙仁王尊

 石仏仁王の背銘に「施主道如宗海上人東岳寺賢盛代、寛永十八年巳天八月廿一日」と刻まれている。西暦一六四一年より露仏で立っていることになる。仁王は、本末清浄な寺院の境内を悪から守る金剛力士として山門の両側に立ち、仏法僧の三宝を守護するものであるが、この赤紙仁王は当時江戸市中に流行していた疫病を静めるため宗海上人が願主となって建立されたもので、いつのころからか赤紙(悪魔を焼除する火の色)を自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代りと身心安穏を願うようになった。
 右の阿像は口を大きく開けて息を吸い込んでいる状態即ち「動」を表し、左の吽像は口をしっかりと結んで息を止めている状態即ち「静」を表している。阿吽の姿は密教で説く胎蔵界、金剛界の二界を表し、又宇宙一切のものの始めと終りを表している。阿像から吽像へと祈願し、満願のあかつきにはお礼として草鞋を奉納する。祈願者、病人を見舞うため日夜歩かれるのでさぞかし草鞋が必要であろうという思いやりからである。
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 田端八幡神社 
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 山門 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 山門 
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 山門 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 山門 

谷中七福神巡り専用の朱印用紙である。朱印料込みで1.200円で、各寺で朱印を押して貰う。寺によっては平日には住職が不在でスタンプで代替されるとの話もある。
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 本堂 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 本堂 
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 甘酒御接待所 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 甘酒御接待所 

少し熱すぎるほどの甘酒は酒粕ではなく米から作られているので、ノンアルコールなので子供も飲めると書かれている。このような接待はここだけだった。
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 本堂 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 本堂 
赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 山門 赤紙仁王通り 東覚寺(赤紙仁王尊) 山門 

10年以上前に初めて来た時は道路の拡幅工事が始められた時で、道は狭かった。
赤紙仁王通りから右折、田端駅前通り(都道458号)へ 赤紙仁王通りから右折、田端駅前通り(都道458号)へ 



 
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