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一葉記念館前を西進、床屋前で左折
一葉記念館は民家の中にあり、国際通りから来る時は道案内があるが、逆の場合は分かりにくい。直進すると国際通りに出る。 |
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飛不動前交差点を過ぎる
交差点の奥右側に飛不動の赤い幟が見える。 |
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飛不動尊 |
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飛不動尊
正寶院は、享禄三年(一五三〇)の創建といわれる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺末から現在天台宗系の単立寺院となっている。 当寺の本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。名の由来は、昔、当時の住職が大和国(奈良県)大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛び帰り、人々にご利益を授けたことによると伝えられている。 「飛不動」は本尊の通称だけでなく正寶院の通称ともなり、江江戸時代前期、寛文年間(一六六一〜七三)の「新板江戸大絵図」には、すでに「飛不動」の名で見える。福利増長・息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く、「日本国華万葉記」や「江戸砂子」などに江戸の代表的な不動霊場の一つとして記されている。近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。 |
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飛不動尊 本堂 |
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飛不動尊
由緒
当寺は龍光山三高寺正寳院と称し享禄三年(一五三〇)正山律師により聖護院派の祈願道場として開基された。その後滋賀県園城寺の末寺となったが、現在は修験の流れをくむ天台宗の一派をなしている寺である。本尊は不動明王で、古くより江戸名尊不動の一に数えられ、特に飛不動と呼ばれている。 この名はむかし故あって当寺の住職が奈良県大峰山に本尊を安置し修行をしていたところ、一夜にして本尊がこの地に飛び帰り御利益を授けられたことより発している。 当寺は寛政の大火を始めとして、数回諸堂を焼失しており寺伝を詳しく知るすべはないが、江戸古図や江戸砂子等に飛不動の名が見られ、千七百年代にはすでに飛不動と呼ばれていたようである。御本尊は数回の災禍の為、一部損傷しており、現在は秘仏として鉄筋入母屋造りの本堂に安置されている。この本堂は昭和四十六年に建立されたもので、中央に御本尊、右に鎌倉末期の阿弥陀如来、左に恵比寿大黒天がまつられている。又、本堂前の石仏は正徳三年作の如意輪観音である。 |
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飛不動尊 |
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長國寺裏参道の入口交差点で右折
3年前(平成25年)の三の酉ではこの交差点まで露店が立ち並んでいた。 |
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西徳寺交差点で左折、国際通りへ |
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西徳寺交差点で左折、国際通りへ
西徳寺は17代、18代の中村勘三郎の墓がある。18代は中村勘九郎として知られ、平成24年に57歳で死去した。 |
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国際通り 長國寺 山門
長國寺は鷲神社の北にあり、もともと鷲妙見菩薩を祀り酉市も行っていた。明治維新後の神仏分離令により、鷲神社が分離されたが、今も長國寺が酉の市を開帳している。 |
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国際通り 長國寺 山門 |
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国際通り 長國寺 山門
当山は江戸時代、寛永7年(1630)に日乾上人によって開山されました。山号を鷲在山、寺号を長国寺と称し、法華宗(本門流)の寺です。宗祖を日蓮大聖人として開運招福の守り本尊である鷲妙見大菩薩が安置されています。 開山当時より、鷲妙見大菩薩の御開帳が11月酉の日に行われ、多くの参詣者を集めて門前に市が立つようになりました。それが浅草「酉の市」の発祥です。 長国寺の門前市であった浅草「酉の市」は、吉原などの隆盛とともに賑わいを増し、市で売られる縁起熊手等も持て囃され、江戸庶民にとって春を迎えるための欠かせない行事となりました。鷲妙見大菩薩は七曜の冠を戴き宝剣をかざして鷲の背に立つお姿から、「鷲大明神」「おとりさま」と呼び親しまれました。また「絵本江戸土産」では「破軍星」とも言われ、開運招福・商売繁昌・武運長久の御利益を授ける尊仏として厚い信仰を集めてきました。1年の無事に感謝し、来る年の幸を願う「酉の市」は江戸時代から続く伝統文化を今も変わらずに受け継いでいます。 当山、長国寺では明治初年の神仏分離令で「酉の寺」長国寺の一部が新たに鷲神社として分割されましたが、現在も 11月の酉の日には多くの善男善女を集めて、鷲妙見大菩薩の御開帳の法要を行い「酉の市」を開いております。 |
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国際通り 長國寺 参道
さして広いとも思えない参道だが、酉の市の時は熊手を売る露店と参拝客でごった返し、もっと広いかと思った。
本堂の後の建物は台東区立台東病院で、その近くに吉原弁財天がある。、 |
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国際通り 長國寺 本堂 |
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長國寺から鷲神社へ |
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長國寺から鷲神社へ
長國寺から鷲神社へ向かう間の道の奥には台東区立台東病院が巨大な壁となって聳え立っている。 |
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国際通り 鷲神社 駐車場
この広い駐車場も酉の市では多くの熊手商の露店と参拝客で溢れかえり、歩くのもままならない。 |
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国際通り 鷲神社 瑞鷲渡殿
渡殿の下をくぐり抜け、社殿に向かう。 |
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国際通り 鷲神社 御社殿 |
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国際通り 鷲神社 参道 |
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国際通り 鷲神社 大鳥居 |
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国際通り 鷲神社
鷲神社
鷲神社は、江戸時代「鷲大明神社」と称されていたが、明治のはじめ「鷲神社」と改称された。
祭神は天之日鷲命・日本武尊の二神。草創は不明である。社伝によれば、天之日鷲命の祠に、日本武尊が東国征伐の帰途、熊手をかけて戦勝を祝った。この日が十一月酉の日で、以後、この日をお祭と定めたという。
酉の市は、江戸中期より冬の到来を告げる風物詩として発展し、足立区花畑を「大鳥」、浅草を「新鳥」と称した。浅草はとくに浅草観音・新吉原・猿若町芝居小屋を控え、賑いをみせた。
一の酉、二の酉、年によって三の酉とあり、世俗に三の酉があると火事が多いと言われる。
酉の市は、当初、農産物や農具の一種として実用的な熊手を売る市であった。その後、熊手は幸運や財産を「かきこむ」といわれ、縁起物として商売繁昌開運の御守として尊ばれてきた。また、八ッ頭は、人の頭になる、子宝に恵まれるといわれる。 |
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国際通り 鷲神社 大鳥居横 パンダバス バス停
東京スカイツリー建設時に無料の浅草巡回バスとして大人気だった。しかし、そのブームも過ぎ、しばしばコースを変更する上バス停も自動販売機を転用したり、壁に貼り付けた紙で代用するなど分かりにくく、今は人気もなくなっている。 |