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新御茶ノ水駅〜神田明神〜湯島天神

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有名神社 湯島聖堂

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新御茶ノ水駅〜神田明神〜湯島天神〜天神下交差点〜春日通り〜佐竹商店街〜おかず横丁〜鳥越神社〜蔵前橋〜横網公園〜亀戸天神〜亀戸駅

【撮影記録】
平成27年 2月 27日 晴れ
10:50〜14:05(昼食25分) 14,900歩(概算 10.4km 地図上の距離 8.5km)

1ヶ月半ほど寒さと持病の腰痛のためまともに歩いていなかったので不安だったが、なんとか歩ききれた。今まで歩いていても腰痛が再発して5、6kmが限度だったのでせめて鳥越神社(蔵前駅)までと、と思っていたが暖かったせいもあり、何とか歩けた。
本郷通り JR 御茶ノ水駅 本郷通り JR 御茶ノ水駅 

千代田線の新御茶ノ水駅の地上出口の前にJR御茶ノ水駅があり、その右に聖橋がある。
本郷通り 神田川に架かる聖橋から見た風景 本郷通り 神田川に架かる聖橋から見た風景 

手前に御茶ノ水駅のホームがあり、神田川を渡った先に湯島聖堂の建物が見える。

聖橋の手前にロシア正教のニコライ「聖」堂があり、渡った先に湯島「聖」堂があることから聖橋と名付けられた。
本郷通り 神田川に架かる聖橋から見た風景 本郷通り 神田川に架かる聖橋から見た風景 

東京メトロ丸ノ内線は四ツ谷駅、後楽園駅などで地上を走ることで有名であるが、神田川を渡る風景は写真を撮る人が多いことでも有名なスポットである。
本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 西門 本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 西門 

湯島聖堂は昌平橋付近から聖橋にかけて丘に造られており、西門が最高点になる。
本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 西門前 案内図 本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 西門前 案内図 

現在地は左端中央の西門で、大成殿(孔子廟)が左にある。

■湯鳥聖堂と孔子
 孔子は、2500年ほど前、中国の魯の昌平郷(現山東省濟寧市曲阜)に生まれた人で、その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えた。儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、元禄3年 (1690)この地に「湯島聖堂」を創建、孔子を杷る「大成殿」や学舎を建て、自ら「論語」の講釈を行うなど学問を奨励した。

■昌平坂学問所跡
 寛政9年(1797)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築して、孔子の生まれた地名をとって「昌平坂学問所」(昌平黌ともいう)を開いた。
 学問所は、明治維断(1868年)に至るまでの70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を果たした。
 学問所教官としては、柴野東山、岡田寒泉、尾藤二洲、古賀精里、佐藤一齋、安積艮斎、鹽谷宕陰、安井息軒、芳野金陵らがおり、このうち佐藤一齋、安積艮斎らはこの地が終焉の地となっている。

■近代教育発祥の地
 明治維新により聖堂は新政府の所管となり、明治4年(1871)に文部省が置かれたほか、国立博物館(現東京国立博物館・国立科学博物館)、師範学杖(現筑波大学)、女子師範学校(現お茶の水女子大学)、初の図書館「書籍館館」(現国立国会図書館)などが置かれ、近代教育発祥の地となった。

■現在の湯鳥聖堂
 もとの聖堂は、4回の江戸大火に遭ってその都度再建を繰り返すも、大正12年(1923)関東大震災で焼失した。その後「假聖堂」を営み、昭和10年(1935)鉄筋コンタリート造で寛政の旧に依って再建され、今日に至っている。入徳門は宝永元年(1704)に建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっている。
本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 杏壇門 本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 杏壇門 
本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 大成殿(孔子廟) 本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 大成殿(孔子廟) 

いつも閉められており、たまたま開けている時に見たら中には孔子の小さな像が祀られている。大成殿の中はガランとしており、中国式の石の床である。
 本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 杏壇門から見た入徳門 本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 杏壇門から見た入徳門 
本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 杏壇門 本郷通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 杏壇門 
本郷通り 湯島聖堂前交差点で右折、国道17号へ 本郷通り 湯島聖堂前交差点で右折、国道17号へ 

本郷通りは左折して国道17号となる。
神田明神 社殿、鳳凰殿 神田明神 社殿、鳳凰殿 

神田明神は別ページにまとめた。

神田明神を参拝後、北の裏参道から蔵前橋通りに出て右折、妻恋坂交差点で左折して不忍通りを北上、湯島天神に向かう。

左の鳳凰殿は、神札授与所と参集所などの機能をあわせ持つ。
蔵前橋通り 妻恋坂交差点で左折して不忍通りへ 蔵前橋通り 妻恋坂交差点で左折して不忍通りへ 
不忍通り 三組坂下交差点 不忍通り 三組坂下交差点 

左折し、坂を上って三組坂上交差点で右折すると湯島天神の表鳥居(銅鳥居)に出る。

元和2年(1616)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お付きの中間・小人・駕籠方の「三組」の者は江戸へと召し返され、当地に屋敷地を賜った。駿河から帰ったので、里俗にこのあたり一帯を駿河町と呼んだ。
 その後、元禄9年(1696)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と改めた。
 この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられた。
 元禄以来、呼びなれた三組町は、昭和40年(1965)4月以降、今の湯島三丁目となった。
不忍通り 「博多 モツ鍋店 八」前交差点で左折 不忍通り 「博多 モツ鍋店 八」前交差点で左折 

左折すると湯島天神の男坂に出る。信号はあるが交差点名の標識はなく、分かりにくいが、一つ先は春日通りと交差する天神下交差点で、手前には天神町交番がある。

ほぼ1年前(平成26年)の神幸祭に来た時はラーメン店を目標に左折したが、いつの間にかモツ鍋店になっており、戸惑った。もっとも余り流行っているように見えなかったラーメン店ではあった。
湯島天神 満開の梅と社殿 湯島天神 満開の梅と社殿 

湯島天神は別ページにまとめた。



 
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