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湯島天神 天神石坂(天神男坂)
天神石坂(天神男坂)
三十八段の石段坂である。別名は天神男坂。すぐわきにある、ゆるやかな坂・女坂に対して男坂という。 江戸時代の書物″御府内備考”によると、湯島神社(天神)参拝のための坂であったが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通り道になったという。 |
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湯島天神 天神石坂(天神男坂) |
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湯島天神 天神石坂(天神男坂)前で右折、天神女坂へ
いつもは男坂を上るが、階段手前で右折して女坂に向かう。一見境内の石垣沿いに歩くようで、女坂があるとの案内はない。 |
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湯島天神 天神女坂の梅並木 |
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湯島天神 天神女坂の梅並木 |
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湯島天神 天神女坂上で右折、男坂上鳥居へ
女坂上と男坂上とは同じでる。 |
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湯島天神 天神女坂上から見た男坂
38段とけして長い坂ではないが、急坂である。写真の高齢者は男坂下で見た時には中段にいた人である。 |
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湯島天神 男坂上 講談高座発祥の地碑
男坂の鳥居の手前にある。
江戸時代中期までの講談は、町の辻々に立っての辻講釈や、粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演じられていた。 文化四年(一八〇七年)湯島天満宮の境内に住み、そこを席場としていた講談師伊東燕晋が、家康公の偉業を読むにあたり庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高さ三尺、一間四面の高座常設を北町奉行小田切土佐守に願い出て許された。これが高座の始まりであり、当宮の境内こそ我が国伝統話芸講談高座発祥の地である。 |
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湯島天神 屋台が並ぶ東参道
屋台は並んでいるが、平日ということもあり、閉店している店も多い。 |
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湯島天神 東参道の突き当りで右折、社殿へ
社殿は平成7年(1995)総檜木造りとして造営された.平成5年(1993)お木曳き(造営の開始)の神事が行われ、遷座祭(完成)まで2年7か月を要した。
祭神は菅原道真である。伝承によれば文明4年(1355)湯島の郷民が霊夢によって老松の下に勧請したといわれている。太田道灌が本殿を再興し、江戸時代になって、徳川家康はじめ歴代の将軍があつく庇護し隆盛をきわめた。かって、湯島天満宮は”湯島天神”として知られ鳥居前には町もでき人々の往来で賑わった。 |
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湯島天神 社殿前にある鈴なりの絵馬
このような絵馬の塊がいくつもあるが、国立二次試験も終えたこともあり、受験生関係者は全くなく、梅祭りを楽しむ中高年齢者ばかりである。
ある新聞によると、神社によっては絵馬に住所等個人情報の書かれている物は外すとか、下に置いて見られないようにしているとのことである。さらに受験校などが書かれた絵馬を他人が見るのはマナー違反、との説があるそうである。 |
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湯島天神 梅園前で演じられる猿回し |
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湯島天神 梅園前で演じられる猿回し |
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湯島天神 社殿前にある鈴なりの絵馬 |
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湯島天神 表参道 宝物殿 |
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湯島天神 表参道 表鳥居(銅鳥居)
銅製表鳥居(都指定文化財)
寛文7年(1667)9月創建され、同11年(1671)修理した銘かある。 下脚部に唐獅子頭部の装飾は鳥居としては特異なものである。 |
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湯島天神 表参道 表鳥居横 湯島神社案内、筆塚
宝物殿の向かい、休憩所の横にあり、隣に包丁塚がある。 |
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湯島天神 表参道 表鳥居横 湯島神社案内
湯島神社
湯島神社は菅原道真公を祀ったもので湯島天満宮又は、湯島天神の名で有名です。菅公の徳は全国に浸潤し天神様と尊ばれ全国に祀られて、“学問の神様”として敬われています。伝えられるところでは文和4年(1355)湯島郷民の勧請に始まり文明10年(1478)太田道灌が修建したといわれています。
青松が茂る神境に野梅が盛んに香り風雅に富んだ所として古くから名を知られ、その後江戸幕府の朱印地になり、林道春、新井白石等の多くの学者に文神とし崇められました。
境内の梅は一時枯れましたが、現在では、地元民の篤志により、教百本の梅樹が植えられ、2月から3月に行われる梅まつりにはみごとな花と香りで奉拝者、観賞者を楽しませています。また梅園の中には、満天下の子女の紅涙をしぼらせた「婦系図」のゆかりの地として里見諄外16名の文筆家ら旧知関係者によって昭和17年(1942)9月7日に泉鏡花の筆塚が設立されました。 |
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湯島天神 表参道 |