|
湯島天神 梅園 奇縁氷人石 |
|
湯島天神 梅園 奇縁氷人石
奇縁氷人石
嘉永3年(1850)10月江戸で初めて建てられたもので、右側面に「たづぬるかた」左側面に「をしふるかた」とある。迷子探しの石で都内でも貴重なものである。 |
|
湯島天神 梅園 合格甘酒 屋台
本来は受験生対象であるが、受験生は全くおらず、暖かいこともあって梅祭り見物の中高年歳者がたまに立ち寄る程度である。 |
|
湯島天神 梅園 満開の梅林 |
|
湯島天神 梅園 菅公一千年祭碑 |
|
湯島天神 梅園 筆塚
「婦系図」の作者である泉鏡花の「筆塚」も昭和十七年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられました。 |
|
湯島天神 梅園 満開の梅林
さすがは梅園で有名な湯島天神で、満開の梅林は見事である。 |
|
湯島天神 梅園 満開の梅林 |
|
湯島天神 梅園 満開の梅林
枝垂れ桜は珍しくはないが、枝垂れ梅は記憶に無い。後方の碑は菅公一千年祭碑である。 |
|
湯島天神 社務所前にある鈴なりの絵馬 |
|
湯島天神 梅園 満開の梅林 |
|
湯島天神 唐門、参集殿 |
|
湯島天神 社務所前の合格祈願グッズの販売店
合格祈願の木製の箸やスプーン、フォークなどが売られている。何度も書くように受験シーズンは終わっており、見向きもされない。
釣書の内容が秀逸である。
合格祝いに 天神様から 箸渡し |
|
湯島天神 満開の梅と社殿、渡り廊下 |
|
湯島天神 授与所前に飾られたポスター
第58回(平成27年)の梅まつりは2月8日から3月8日までである。 |
|
湯島天神 社殿横にある鈴なりの絵馬 |
|
湯島天神 社殿横にある都々逸之碑
碑文の原文は句読点が無いため、適宜補った。
都々逸は日本語の優雅さ言葉の綾言回しの妙などを巧みに用いて人生の機微を二十六字で綴る大衆の詩である 古くより黒岩涙香 平山蘆江 長谷川伸らの先覚者により普及し われわれとその流れの中で研鑽を重ねて来た短歌俳句と並ぶ三大詩型の伝統を守り更なる向上と発展を願い 各吟社協賛の下詩歌の神の在すこの地に碑を建立する |
|
湯島天神 社殿裏 江戸千代紙展示販売店 |
|
湯島天神 社殿裏 江戸千代紙展示販売店 |
|
湯島天神 社殿横 イベント舞台 |
|
湯島天神 夫婦坂を下りて右折、春日通りへ |
|
湯島天神 夫婦坂を下りて右折、春日通りへ |
|
湯島天神 夫婦坂を下りて右折、春日通りへ
夫婦坂を下りてすぐ左に切通坂の銘板がある。 |
|
湯島天神 夫婦坂を下りて右折、春日通りへ
『御府内備考』には「切通は天神社と根生院との間の坂なり、是後年往来を開きし所なればいふなるべし。本郷三、四丁目の間より池の端、仲町へ達する便道なり、」とある。湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。
初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかになった。
映画の主題歌「湯島の白梅」“青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し”で、坂の名は全国的に知られるようになった。
また、かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床」(本郷2−38−9・新井」理髪店)の二階に間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社の夜勤の帰り、通った坂である。
二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも 勤めなればかな
石川 啄木 |
|
湯島天神 夫婦坂を下りて右折、春日通りへ |